お久しぶりのお知らせです。
皆々様、それぞれの在所でお元気にお過ごしですか。
広島大学総合科学部の入試出願期間の10/8~12にあわせて、入学志願書を提出しました。
もう後戻りはできません(笑い)。
入学志願書を提出の前に、去る9/14、「受験上特別の配慮を希望する申請書」を提出する手続きのために、総合科学部学生支援グループ(事務局)と、広島大学で取り組まれているアクセシビリティセンター(その目的:「すべての学生に質の高い同一の教育を保障すること」を基本方針として、身体等に障害のある学生の修学支援を積極的に行う。アクセシビリティ=「利用しやすい」「参加しやすい」)の担当者と面接をしました。この時初めて東広島キャンパスを訪れました。
案内された教養教育本部事務棟の相談室では、学生支援グループ事務職員のTさんとその上司の方、アクセシビリティセンターからは専任スタッフで准教授のY先生に修学支援委員のS先生の計4名の方々に応対していただきました。正直、1対4で、ちょっとドギマギしちゃった!(苦笑)
僕は障害名と障害状況に日常の生活状況も伝え、身体障害1種1級交付の身体障害者手帳を提示して、希望事項を述べました。
1.僕は日常でも車椅子生活をしておりますから、受験時には電動車椅子の使用許可をお願いします。
もし手動式の車椅子ならば介助者が必要となります。
2.僕は上肢と手指に障害があり手書きが不能のため、小論文試験時にはノート型パソコンの使用許可を
お願いします。
3.その際僕はパソコン習得の当初から Macintosh を使用しており、Windows は今までまったく
使用したことがありません。どうか格段の配慮を賜り、Macintosh で小論文試験に臨めますよう
よろしくご手配をお願い申し上げます。
4.僕が合格・入学をはたしたときには、長期履修学生制度の申請をしますのでよろしくお願いいたします。
以上のことを中心にお願いしたところ、”正式に文書で申請書を提出の上で、支援委員会で検討して許可を通達します”の回答をもらいました。
先日の10/10にアクセシビリティセンターのS先生から電話連絡を受け取りました。電動車椅子の使用と、僕個人で所有している Macintosh のノート型パソコンの iBook 使用が支援委員会で正式に認められたとのことでした。僕は思わず、ありがとうございました!の大声を上げていました。大きく展望が開かれた実感を持ったのです。
ただし、小論文試験は僕だけ別室で受けること。受験の公正と公平を図るため、事前に僕の IBook はチェックを受けること。小論文試験は、同じ支援委員の中で個人的に Macintosh を使用している教員の方がいるので、USBポートで記憶メディアに保存してプリンターで印刷したものを提出することになりました。Macintosh は Windows から比べれば断然少数派ですが、何処にだって Mac愛用者はおいでになるだと思って、ホッとしました(苦笑!)。
本当にもう後戻りはできません。
こんなにも新たに知り合った人たちにお世話になって、思いもいただいている訳ですし。
僕は合格・入学を果たした後は長期履修学生制度を申請するつもりですから、向こう8年間の広島大学学生生活となります。無事卒業後は引き続き大学院を目指すつもりだからあわせて16年計画です。僕はその時何歳になっているんだろうか(苦笑)。そのスタート台に立った心持ちがします。どれほどのことがやり切れるか。身が引き締まる思いです。でも何度も言っているようにまず合格しなければお話にも何にもならないですよね、あっははは、大傑作!
僕がお世話になっている熊野町訪問介護センターのホームヘルパーさんたちは、「受験勉強で大変でしょうね。無理しないでくださいね」と心配してくれています。
試験日は11月21日(水)。僕は何の準備もしていません。小論文試験や面接試験に今さら何の準備をしたところでどうにもならない。常日頃の自分を正直に一生懸命になってさらけ出すだけです。それしかありません。
入学志願書類の中には『志望理由書』が義務づけられています。恥ずかしながらご紹介します。重複しますがご一読願えれば幸甚につきます。それでは・・・・
志 望 理 由 書
志望学部 総合科学部総合科学科
平成24年10月04日
氏 名 中田輝義
〔志望の動機〕
僕は少年の頃から自分がいったい何者なのか? よく分からずに生きていました。僕はなぜ生まれて来たんだろう。どう生きて行ったらいいんだろう。僕はいったい何者なのか。
こんなことを親にも聞けず、友だちにも担任の先生にも、誰ひとり相談できる人もいなくて、自分の世界に立ちすくんでいました。ちょうどその頃は第一次ベビーブームの進学競争時代で、高度経済成長の波にもまれ、物事の価値観が急激に変化する時代でもありました。
結局僕はそんな競争社会について行けず、ものの見事に落ちこぼれ。でも僕には、何か人と違った生き方が出来るはずだ、いつか僕らしく生きられると、不遜にも傲慢にもそう思いつめていました。だからと言って何をどうして良いのかも分からず、具体的な目標も見えず、何の根拠もないところにしがみつくようにして生きていました。高校卒業後はお恥ずかしい話しですが、僕は今で言うフリーターのような根無し草の放浪生活をしておりました。
そんな時僕は、大阪府立病院泌尿器科で副睾丸ガンを宣告され切除手術を受け、その後のコバルト治療などでガン病棟に長期入院。僕は同じガン患者の数々の死を見てきました。このことが人生の転機となり、人生をやり直す覚悟で写真の道を志し、東京へと旅立ちました。
僕がフリーランスのプロカメラマンとして関わってきたのは、寝たきり老人・独居老人、出稼ぎ労働者、身体障害者・難病患者。また、ネパールの福祉事情や障害者の状況の写真撮影したときには、あわせて農村の貧困状態も取材したことから、世界の飢餓と食糧問題も学びました。福祉先進国といわれたカナダの身体障害者の自立生活を中心とした海外取材も経験しました。
その後僕は活動の拠点を東京から北海道の札幌へ移し、アイヌ民族のエカシ(長老)やフチ(老淑女)と親しく交わる機会を得て、アメリカの先住民族を中心に世界の被圧少数民族のことも学びました。
僕は正規の学業についてはまったくの落ちこぼれですが、これらの現場取材を通して現実に起きている様々な社会現象について感じた矛盾や原因を、僕なりにジャーナリスティックな視点で(それはほとんど雑学とも言えるものでしたが)勉強してきました。
でもこれは結局は僕の独りよがりの”独断と偏見”にすぎません。僕が今まで学んだことははたしてどうだったんだろうか。雑学ではなく体系的で組織的なきちんとした学問をして、僕の考え方を検証してみたい。僕はずうっとそんな考えでおりました。
それは何かに導かれるようにしてインターネット検索をしているときに偶然、広島大学総合科学部のことを知ったのです。「シラバス」についても入念に検索しました。僕は ”ここだ!”と声を張り上げていました。僕は直感的に僕の長年の疑問の答えを見つけられるのは広島大学総合科学部だと感じたのです。血が騒ぎ身体がブルブルと震えてくる高揚感を覚えました。
〔総合科学部で学びたいこと〕
僕が総合科学部で学びたいことの第一義は、それは人間はどうすれば幸せに生きていけるのだろうか、ということです。
いま僕が歩んできた写真の道を振り返るとき、僕が執拗に目指してきたのは社会的弱者、主流よりも反主流、マジョリティーよりもマイノリティーの世界でした。そしてそれは常に社会的矛盾がいちばん集中するところでもあり、にもかかわらずマスメディアからあまり注視されない、一般社会の中で潜在化したテーマでもありました。
この世界からなぜ貧困と飢餓はなくならないのだろうか。差別と偏見、社会的・身分的格差はどうすれば解消されるのだろう。いま世界中で起きている紛争やテロ、民族戦争や宗教戦争はどうすれば解決するのだろう。なぜリーマン・ショックが起きて、市場開放やグローバリズムにはいったいどんな問題があるのだろう。経済学の中に道徳思想や倫理観を持ち込むなんて不可能なことなんだろうか。世界のあらゆる地域で真のバランスのとれた経済発展を遂げるにはどうすればいいのだろう。国際NGOの今ははたしてどうなっているのか。地球上のあらゆる地域の人種・民族・宗教・風俗・経済発展・貧富の差に関わらず、現在から未来において人類が真の平和と幸福を享受するにはどうすればいいのだろう。
また僕自身のことでいえば、僕はなぜ重症筋無力症という難病に罹ったんだろう。それには何かの意味があったのだろうか。重症筋無力症の原因の一つに免疫疾患が上げられているけれど、人間にとって”免疫”とは何なんだろう。その”免疫”は僕の身体の中でいまいったい何をやらかしているのだろう。それを知るためには、人間誕生の起源となる原始細胞がDNAやRNAなどの核酸やミトコンドリヤを作りだした原因や、多細胞生物体がよりよい進化を遂げるためにアポトーシス(死ぬ)という機能を生み出した生命科学を学ばなければならないのかもしれない。
人間はなぜ争うのだろう。それは多細胞生物体から人間としての生命体として進化する過程から必然的に生み出されたテストステロンやドパーミンなどの分泌物にも原因があるのだろうか。それが人間の闘争本能を刺激しているのだろうか。
人はなぜヒエラルキーを求めヘゲモニーを争いたがるのだろうか。それはそもそもヒトとして誕生したときから備わってしまっている人間の特質なのだろうか。現代人の心に潜む闇とリスク。どうすれば人と人のコミュニケーションが成立するのだろうか。人間の社会的行動の理非について学びたいと思う。そしてその理非を問い正すときに必要となる尺度が、信仰であり倫理であり芸術なのだろうか。そこに現代人としての心の救われ場所があるというのだろうか。
僕が総合科学部に入学後、志望しているのは、「自主編成プログラム」です。
いま僕が抱えている数々の欲張りな疑問に答えを与えてくれるのは、とっても生意気な言い分ですが、総合科学部が有している各プログラムの範疇を乗り越えて、それらを全部包括する「自主編成プログラム」でなければならないと決心しております。僕は今からそれらに取り組める日々を想像して、心がワクワクとしております。
でもただ学んだだけでは何もならないですよね。僕は総合科学部で学んだ多くのことを僕の中で充分に咀嚼して、僕自身の確かな答えを見つけ出さなければならないと思っています。僕は勉強して得た成果を社会に還元したいと考えています。それが僕の社会への恩返しです。そのときこそ僕は心から幸せになれるし、生きていて良かったと思えるし、生きていることの確かな手応えと実感が得られるのだと思います。僕はその日のために、これからを生き続けたいと思っています。
僕が入学を果たした後にはこの覚悟を持って学業に精進するつもりでおりますので、どうか教授・教員の皆様方の厳しいご指導とご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げます。
ありがとうございました。
中田輝義 拝
2012・10・04 記。
コメントをお書きください
fumifumi (日曜日, 21 10月 2012 19:10)
いよいよですね。
どんと構えて、しっかりと受験して下さい。
ライバルは自分自身ですから。
大丈夫!
来月色々とサポートが必要ですね。
ちゃ〜んとお手伝いしますのでご心配要りません。
フレー! フレー! テリー!
中田輝義 (月曜日, 22 10月 2012 10:48)
fumifumi さんへ、
温かい励ましと、力強いお手伝いの申し出に、心から感激しております。
ありがとうございます。
期日が近づけば支援委員会から細々とした打ち合わせがありますから、
それを受けて、連絡をしますネ。
熊野の郷の空は、秋です。
でも雲の流れは去年とちがって全然ドラマのないフラットなものになっています。
それは僕はあの時、毎日の天気と雲の流れに鋭敏に反応していたからだけではない、
今年の無表情な雲の流れです。
やはり写真展はあの時にしか出来なかったのですね、つくづくそう思います。
そう言えば、随筆集「つれづれの部室」本を自費出版したときも、
「電動車椅子ひとり旅」に出かけるときも、今この時しかないと感じ旅立ちました。
そしてこの度は、広島大学総合科学部への挑戦です。
いま、眠っていた全身の細胞がこれに向けて活性化していくのが感じられます。
二度とない今の、この時の今の”いま”を、充分に生ききること。
あとは、天命に委ねるだけです。
テリー、拝。
るりるり (火曜日, 23 10月 2012 17:50)
大変大変、ゴブサタしております。
受験なんて、すっごいですね!
応援しています、思いっきりファイトしてくださいね!
テリーさんのことは 広島を離れた後も ずっと
忘れたことなかった… 頂いたお手紙とご本、
そして、実家に帰郷した折に偶然見つけた新聞の切り抜き。
今も大切にしまってます。
旅のお話も読みまして、感動と感謝を頂きました。
ありがとうございました。
これからもご活躍、期待していますからね!
See you!!
中田輝義 (水曜日, 24 10月 2012 08:20)
ああー、なつかしい、ナツカシイ〜、るりるりさんっ!
「熊野の郷・雲」写真展にはおいでいただき、ありがとうございました。
感想ノートに書き込みがあり、ありがたく、とってもうれしかったです。
連絡先が分からずお礼をお伝え出来ずにおりました、ゴメンナサイ!
るりるりさんや、あいてらさんTUKUDAさんポールさんと「つれづれの部屋」で、
ときにはシリアスなことから、ときにはエロっぽいダジャレまでいろんなことを、
メール交信をしていたあの頃は、僕にとっても思い出すだに、
楽しい、こころウキウキする日々でありました。
もう二度と帰ってこない大切な思い出です。
それにしては、See you ! って文尾に書いてもらったけれど、
まだ一度も直接お目にかかったことがないのは、とっても不思議です、Aっhahaha!?
でもそんな楽しい思い出を共有できるメル友が僕たちのそばにいてくれて、
今でもこうして何かあったら連絡を取りあえるなんて、
やっぱりとてもうれしくて心強いことですヨね。
僕も、るりるりの人生をいつも応援しています。
お互いファイトとして、生き抜いていきましょう!
感謝!
てりー、拝
i.Tera (金曜日, 02 11月 2012 19:26)
terryさーん! ご無沙汰しております!
素晴らしいです!!
ガンバってください。きっと受かります!
私にも、アンネットや「つれづれの部屋」でのことは心楽しい大切な、忘れられない思い出です。
今、パン屋には土日しか行ってないので、何かお金をかけずに楽しめることは無いかと考えて、パソコンを見ていたのですが、そうだ!前々から考えていた、ローマ字入力に挑戦しようと今日の今日始めたのです。私は、ずっと日本語入力だったのですが、主流はローマ字だよねと、前から考えていたので、、この文章はローマ字入力です。ちょっと笑っちゃう挑戦ですね?
そして、そうだ!terryさんはどうしていらっしゃるかと覗いたら広島大学挑戦じゃありませんか! びっくりしたなーもう!
もし、何か私に出来ることがあれば、お手伝いしたいのでなんでも言ってくださいね。駆けつけますわ。
中田輝義 (金曜日, 02 11月 2012 20:32)
るりるりさんへ、
ついさっき、 i.Tera さんからコメントをいただいたのを読んでいて、
はたっ! と、10/24(水)付けの返信コメントの最後のところ、
”僕も、るりるりの人生をいつも応援しています。” で、
るりるりさんの、「さん」づけがないことに気付きました。
とたん、顔から火が噴いて、真っ赤っかになりました。
それからよく見ると、
”お互いファイトとして、生き抜いていきましょう!” の、
「と」一字が多いではありませんか!?
ああ、恥ずかしい〜っっ!
まったくもって僕のあわてん坊と粗忽(そこつ)さ加減にイヤンなりました。
るりるりさん、ゴメンナサイ! どうかお許し下さいね!
ああ、こんなことで、入試試験の小論文の文章を、まともに書けるんカイナ?!!
とほほっ、自己嫌悪に陥りそう・・・・
テリー、拝。
中田輝義 (金曜日, 02 11月 2012 20:36)
i.Tera さんへ、
おひさしぶりでした!
お元気そうでなによりです。
るりるりさんへのお理(ことわり)を先にしなければならず、
お待たせしました(笑い)。
相変わらずの僕のおっちょこちょいぶりに、
苦笑をもらしておいでになるんでしょうね、イッヒヒヒヒ!
i.Tera さんも「写真展」にお運びいただき、
感想ノートに書き込みもしてもらって、ありがとうございました。
毎日会場に詰めることも出来ず、お会い出来なくて残念でした。
お手伝いの申し入れ、ありがとうございます。
そこでご相談ですが、出来ればなつかしい仲間が集まって同窓会をやっていただけませんか。
僕の「合格祝い」もかねて、あっははは!
もし不合格なら、「残念会」でも良いですよ、えへへへへ、、、
思い出しても i.Tera さんは「つれづれの部屋」では、
軽いテーマには軽いなりに、重いテーマには重いなりに、
柔軟に対応するメールのコメント文に、僕は何度も”う〜ん”とうなづかされました。
当意即妙のやりとり、楽しかったですね?
てり−、はい。
i.Tera (金曜日, 02 11月 2012 21:19)
ウッフフフ! 楽しかったですね。
terryさん、私、コメントを書いた後、ふと前のブログが隠れているのを発見して、ずっと読んでいたんですよ。広大挑戦は6月から始まっていたのですね?
ごめんなさい知らなくて、コメントもなく。
びっくりしたけど、terryさんには、必然のように思いました。
i.Tera (金曜日, 02 11月 2012 21:27)
なんか、これ、enter押したら突然途中で切れますねー
残念会ではなく合格祝いをしましょうね。
るりるり (火曜日, 06 11月 2012 18:09)
>出来ればなつかしい仲間が集まって
同窓会をやっていただけませんか。
あ、やりましょ、やりましょ!
テリーさん、大丈夫ですよ~
連絡取れますし、召集かかればいきます。
みんな集まって、大笑いしたいんだもん~
今年、冬の宴をやりましょう!!! fumifumiさ~ん♪
今度、お会いした時に
手書きの連絡先、お渡ししますね!
fumifumi (水曜日, 21 11月 2012 13:01)
テリーさん、本日試験ですね。
何もお手伝い出来ませんでしたが、健闘をお祈り致します。
頑張って下さい!