「カナダ横断 ● 交流の旅」- カナダ横断5000キロ - 復刻版を書き終えて

 

  ずうーっと気にかかっていたことをやり終えて、今、ホッとしています。

フォトギャラリーに「香西さんのこと」を上梓したあと、何にも手がつけられなくてそのままになっていたからです。

 

 

 僕が「電動車イスひとり旅」を発刊したあと、このHP「 terry’ s room 」のフォトギャラリーに「カナダ横断●交流の旅」を上梓したいと思っていました。それは、僕が電動車イスのひとり旅をやろうと思った発端のひとつには、香西智行さんといっしょにカナダ横断5000キロの旅に挑んだことがキッカケになっていたからです。この体験がなかったら「電動車イスひとり旅」ー 広島県熊野町から札幌まで1830km ー はありえなかった。それほど重要な要因でした。

 

 でも、「カナダ横断●交流の旅」をフォトギャラリーに掲載したいという僕の思いを大きく阻む、ある重大な欠陥事項があったのです。それは数十年も前にカナダ横断の旅で写真撮影したモノクロ・ネガフィルム36枚撮り128本分が、すでに喪失されていたからでした。

 

 僕はカナダ横断の旅から帰ったあと、1980年から始まった「国際障害者年」の10年間に障害者をテーマにした写真にいったん区切りをつけようと考えました。さてこれからの自分の写真はどうあるべきかを考えるために、僕は当時札幌市内にあった「テル・フォト・オフィス」を発展的に解消して、いちアマチュア・カメラマンとして出直すために、知人の縁をたどって北海道沙流郡平取町荷負本村に移り住んでいました。

 僕のプロ・アマチュアの写真仲間、フリーで活躍していたデザイナーやエディターや僕に写真の仕事を依頼してくれている数少ないクライアント、多くの友人知人たちに、「プロカメラマンを辞めて、平取町の山の中に引っ越して、何を考えているんだ!」と大いに困惑させたものでした。

 

 カナダの旅の中でカメラのファインダー越しに見た、あるいは風に吹かれ、雨に打たれ、太陽の輝きに包まれ、我が身の肌に直接触れたカナダの大自然。そのカナダの大地とともに生きている人びと。それらはこれからの僕の人生を考える上で、絶対に忽(ゆるがせ)に出来ないほどの影響力を僕に与えていたのです。

 その実感に正直に生きるなら、いつも自然に囲まれて暮らすしかない。僕にとって平取に移住することはもう必然で、容赦のない行動だったのです。

 だからと言ってこの先どうなるものやら、具体的な展望もなかったのですが、心が求めている以上、そうしなければならなかったのです。

 これが僕の20年以上も前の姿です、実に青臭い話しです(大苦笑)。でもよくよく考えれば、こんな僕だから、後年「電動車イスひとり旅」をやらかしてしまったのかもしれませんね。

 

 ちょっと寄り道にすぎましたが、このことがあって当時、「カナダ横断●交流の旅」の発刊のための文章と編集の作業を香西智行さん宅に泊まりがけで行っていました。一室を貸してもらって、たくさんのカナダから持ち帰った資料に囲まれて、缶詰め状態でした。夜食の時だけは2階から下りてきて酒盛り談義。これも楽しい思い出です。アブナイ! また寄り道をしかけた(苦笑)。

 

 この編集作業のため、僕はネガフィルムと印画紙に焼き付けた密着を持ち込んでいました。「カナダ横断●交流の旅」本が完成したあとも、資料とともにネガフィルム・密着とも香西さん宅に預けたままになっていました。引き取りに行かなければと思いつつ、平取町からの足が遠のいていました。

 

 そんな折、香西さん宅の隣家から火事が発生して、もらい火を受けた香西さん宅も全焼。僕は何年間もこの不測の事故のことを知らず、後になって知らせを受けたときには僕は呆然自失となりました。

 もちろんまず最初に、香西さんも奥さんの光子さんも他の家族の皆さんも怪我がなく無事に逃げおおせたのだから喜ぶべきところなのですが、ネガフィルムは消失してしまったことを知って僕は正直、がく然としました。あの時、引き上げてきておけば。と、いくら後悔しても後の祭り。天国の香西さん、自分勝手で、ゴメンナサイ!

 

 こんな事が原因で、僕は長年気にかかりながらも「カナダ横断●交流の旅」をフォトギャラリーに掲載できずにおりました。

 小山内美智子さんの「心の足を大地につけて」本の時は僕の手許にネガをキチンと所持しており、保存状態も良く、躊躇なくフィルムキャンニングで復刻版に取り組めたけれど、ネガがない「カナダ横断●交流の旅」本は手のつけようがありませんでした。そうあきらめていたのです。

 せめても香西さんのことをもっと伝えておきたい、知っておいて欲しいと思う一心で取り組んだのが同じくフォトギャラリーの「香西さんのこと」でしたが、でもこれは僕の真の思いを表していない。僕の忸怩(じくじ)たる思いはいっこうに解消されませんでした。

 

 「 terry’ s blog 」の2012年4月14日付『「心の足を大地につけて」復刻版にのぞんで』の中で、僕はこんなことを書き述べています。

 

 『   「国際障害者年」当時、施設から街に出よう、自分たちの自立生活を確立しよう、障害者もいるのが当たり前の社会なのだというバリヤフリーの考え方、ノーマライゼーションの考え方をもっと普及させようと運動を進めていた若い障害者やそれに賛同するボランティアグループは、最近の若い障害者の生き方を見て、

 

 「 何でもそろったいたれりつくせりのケアー付き住宅にいる若い障がい者たちが、これが当たり前と思っていることの不自然さです。瀬戸際の切迫感や緊張感の裏返しで、いま生きていることの素晴らしさを感じることが出来なくなっているのではないでしょうか。

 僕たちが30年前に運動したときの「いま社会を変えなければ障がい者は生きていけなくなる」「憲法で保障されている『幸せになろうと努める権利』を実現しよう」という意識は、いまの若い障がい者に受け継がれていないことを痛感します。」

 

と嘆きます。

 

 当の小山内美智子さんも最近のコメントとして、

 

 「 今の若い障がい者はあまり運動をしませんね。淋しい事です。中途半端な幸せに甘えているのではないかと思っています。

 そういう人たちが生きている限り、後に続く人たちは楽なんですよね。 」

 

と述べています。

 

 障害者・高齢者・難病患者を社会のお荷物、厄介者だと考えているような管理者側・行政サイドは、少しでも油断をみせればその間隙をぬって、あらたな巧妙な手口でそれまでの生活擁護の既得権や、やっと勝ち取った民主的権利すらも、あらたな法律や条令でじわじわと踏みにじろうとします。そのことは僕自身、かつてフリーカメラマンとして障害者・難病患者・寝たきり老人にかかわってきたのに、その僕が難病患者で身体障害者でひとり暮らしの高齢者(苦笑)になってみて、痛烈に感じていることなのです。

 もしケアー付き住宅の一室にこもって、世間に目もくれず、自分ひとり小さな安住の世界にとどまっている若い障害者いたなら、今は良くても自分が年を取ったときに、取り返しのつかない後悔をする羽目になるのです。

 

 こんな情報が僕の耳に届く度に、僕はあらためて大きな声で叫びたくなるのです。

 

   「 国際障害者年を風化させるな! 」

   「 あのときの熱い思いを忘れるな! 」    』

 

 

 1989年、カナダの旅で見たもの、聞いたこと。カナダの福祉の状態、障害者の生活状況、 権利意識。民主主義そのものに対する考え方。出会ったカナダの障害者の多くは、心が大きく豊かで、自分たちの自立生活をエンジョイして、エネルギッシュに生きていました。

 障害を持っていても、他の障害者のために役立つことを取り組んでいこうとする人間愛。そこにひとりの人間としての自信と誇りと尊厳すら感じました。「カナダ横断●交流の旅」復刻版を読んでいただければそのことを良く理解していただけると思います。

 

 今こそこの本をどんな形であれ、残しておかなければならない。僕のHP「 terry’ s room 」がどれほどの影響力を持っているか。それはお恥ずかしくなるほど微々たるものに過ぎないけれど、でも伝えておかなければならない。写真を撮ってきた者の責任として。

 

 カナダの出版物、国・州政府の官公誌、本や雑誌に種々のカタログまで、多くは英語版とフランス語版のそれぞれの表紙があって、それが背中合わせで綴じられて一冊の印刷物になっています。特にケベック州やオンタリオ州など大西洋岸で、公用語が英語とフランス語の2カ国語がある地域では顕著です。

 

 今回、香西さんの交流編と宮下さんのサイクリング編が同時に進行する物語をひとつのストーリーとしてまとめることがとても困難だったため、カナダの出版物のやり方を真似て、ページ右開きの交流編と左開きのサイクリング編にそれぞれが表紙を付けて背中合わせで一冊の本となるよう編集・装幀しました。

 また出来るだけ写真で見せるよう多く使用しました。広くカンパや寄付金を募って成しとげた旅でもあったし、写真報告集の予算も極々切り詰められての制作を余儀なくされました。そのため本の綴じ方も写真のオフセット印刷も必ずしも良質のものは望めませんでした。印刷会社とギリギリところで妥協せざるを得ませんでした。

 

 掲載の仕上がったフォトギャラリーの「カナダ横断●交流の旅」と「車イス●カナダを走る」を見ていただければ、特にプロカメラマン・アマチュア写真家、編集者・デザイナーに印刷関係者の人たちのチェックが入ったならば、写真の出来が悪いことがいっぱつで見抜かれることでしょう。このことが僕がいちばん怖かったことです。

 ネガがない以上、質の悪いオフセット印刷物の写真からスキャニングするしか方法がない。もともと悪いものからスキャンしてもさらに悪いものにしか復原できない。

 特に見開きで2ページにまたがる写真は綴じが悪いためにつなぎがボロボロになり、Photoshop で写真修整しても結果は悲惨でした。僕も元写真屋のはしくれ。大いに悩みました。これが中田輝義が撮った写真かっ!? 人に見られて、笑われるのは火を見るより明らかな状態でした。

 

 長い時間がかかってようやく開き直って、やっと決心がつきました。

 大事なことは「カナダ横断●交流の旅」・「車イス●カナダを走る」を残すこと。カナダで見たこと、聞いたこと、学んだことを後世に伝えること。そのためには中田輝義の写真屋としての恥や外聞や見栄など、取るに足らないことなんだと、気持ちを切りかえることが出来ました。それこそがドキュメンタリー写真を志してきたフォトジャーナリストとしての任務だろうと思いました。

 

 なにやら言い訳がましいことをつらつらと書き記しましたが、よくよくの温かいご判断をたまわりますよう、よろしくお願いいたします。

 

 期せずして今日は6月24日。思い出せばちょうど24年前の今ごろは、カナダ横断の旅は森と湖のオンタリオ州から大草原のマニトバ州に入った頃でしょう。

 

 広島県熊野町はちょうど梅雨の真っ盛り。雨上がりの早朝。やっと顔を出した太陽の輝きに、熊野盆地を囲む森の樹木も久々の日光浴をはじめ、緑葉がきらきらと光っています。

 山から下り降りてきた少しヒンヤリとしたような涼風が、13階建ての公営住宅の10階にある僕の部屋に静かに流れ込んでくる。そのとき、ふと鼻先にツンと感じた草いきれの香り。

 

 あっ、カナダで嗅いだ臭いと同じだ! 

 不思議だなぁ~、人間の感覚って。

 もう何十年も経っているのに忘れていない。

 ふとした瞬間、脳裏によみがえる。

 

 「編集後記にかえて」に書き添えたことだけど、1989年にモントリオールからバンクーバーまでのカナダの旅をしました。旅から帰って、「カナダ横断●交流の旅」・「車イス●カナダを走る」写真報告集の編集作業をしたことで、同じ旅を二度していると感じました。

 そして今日、『「カナダ横断●交流の旅」の復刻を終えて』を書き上げて、あのときの光景がまざまざとよみがえり、いま僕は同じ旅の三度目の体験をさせてもらっている心持ちがしています。ありがたいことです。本当にこの幸運を心から感謝したいと思います。

 ありがとうございました。

 

 

 追伸:香西智行さんへ、

    そのうち、土産話しをいっぱいに持って会いに行くからね。

 

 

                                 中田輝義 拝 2013/6/24 記。

                                     

 

 

 

 

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コメント: 3
  • #1

    道産子ねこ (水曜日, 12 2月 2014 16:56)

    今日、このブログのこのページを読んで・・・(涙)そうだったんだ。テリーさんのHPにたどり着いて、フォトギャラリー、香西さんのことの写真と再会した時に、思いがけずに涙が出たことに、なぜか驚きました。香西さんが「 昔は、筋ジスのじいさんはいなかったんだ 」といってました。懐かしいです。生き切ったのですね。

  • #2

    中田輝義 (水曜日, 12 2月 2014 18:35)


    道産子ねこさんへ、

    ありがたくコメントを拝受しました。思いもしないところから何かの糸に導かれたようにこのようなメールをもらい、じつに感慨深く読ませていただきました。人の縁(えにし)とは、不思議なものですね。ありがとうございました。

    コンタクトのコメント・コーナーにも書き込みましたが、やはりHPは不特定多数の第三者にも公開していることであり、道産子ねこさんからのメールにはなつかしい方々の実名が記載されてあったので、非表示とさせていただきました。どうかあしからずご了承下さい。

    香西智行さんは、2010・10・30の払暁に逝去しました。奥様の光子さんの言によれば静かな大往生だったそうです。

    もし良かったら拙書「電動車イスひとり旅」本を購読のうえ、僕個人宛にメールをいただければとてもうれしいです。
    メールアドレスはコンタクト・コーナーの最下段に明記しております。心からお待ちしております。
    ありがとうございました。
    テリー 拝。

  • #3

    道産子ねこ (月曜日, 17 2月 2014 08:23)

     あまりの懐かしさに、いろいろなことを深く考えずにコメントに書き込んでしまいまた。ご配慮、ありがとうございました。昨日、本屋さんで「 電動車イスひとり旅 」を注文してきました。楽しみに待ちます。

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