え~~、小生、 この度、 平成25年07月29日付け身体障害者手帳再交付をもって、これまでの「重症筋無力症による体幹機能障害(2級)」と「重症筋無力症による両上肢機能障害(2級)」の合わせて第1種1級交付に加えて、あらたに「疾病による呼吸器機能障害(3級)」の認定を受け、ここに見事に3冠が達成されました!?
バンザーイっ!?
現在僕は、県立広島病院呼吸器内科の主治医D先生の診察により在宅酸素療法を行っていて、電動式の酸素濃縮器からカニューラというチューブを鼻に入れて日常生活を過ごしています。外出時には携帯用の酸素ボンベを電動車イスに背負わせて出かけます。
僕が1996年に広島大学医学部付属病院第2外科で、執刀医のK先生に重症筋無力症の8時間におよぶ拡大胸腺摘出手術を受けて集中治療室で麻酔から目が醒めたとき、K先生からこんなことを告げられました。
「 中田さんの胸腺はゲル状に溶け出していてそれが横隔膜にへばりついており、(重症筋無力症が)再発しないようにぎりぎりのところまで削りとらなければなりませんでした。大手術でした。これで再発の心配はないと思いますが、ただ横隔膜の一部が傷ついた可能性はあります 」
僕は手術を受ける前に何度かクリーゼという呼吸困難に陥り、あわや!という状態になったことがあります。クリーゼは重症筋無力症特有の症状で、ノドや肺の筋肉が動かなくなり、そのまま死ぬこともあります。1960年代ごろの重症筋無力症患者のほとんどの死亡原因は、クリーゼでした。
手術後も僕は体調不良や精神的・身体的ストレスが重なると何度かクリーゼをおこし、救急車で県立広島病院の集中治療室に運ばれました。いちばん重篤なときにはとうとう気管支切開手術を受けて人工呼吸器をつけ、鼻からチューブ入れて流動食をとる入院生活を6ヶ月送ったこともありました。
多くの重症筋無力症患者は手術で胸腺を切除すればほとんど症状が改善されるはずなのに、なぜ僕だけがいつまでたっても疲れやすくてすぐに筋肉が硬直して動かなくなるし、息切れや呼吸困難が残っているのだろう。
通常健康な人にとっては何でもない御飯を食べること、トイレで用を済ませること、入浴やシャワーを浴びること、夜の睡眠中に寝返りを打つこと。それな当たり前の日常行動になぜこんなにも苦労しなければならないんだろう。そして寝起きのときに感じる重い頭痛と倦怠感。なぜなんだろう。不思議でなりませんでした。やっぱり拡大胸腺摘出手術のとき横隔膜に傷がついたんだろうか。どうしても答えが知りたい。
県立広島病院神経内科の主治医のT先生に相談したところ、
「 横隔膜に傷があるかどうかはMRI やCTスキャンで検査しても判別がつきません。それを調べるためにはもう一度胸を開けて、肉眼で確かめるしか方法がありませんが、しかしそれを調べるためだけの理由で手術をすることは絶対にありません 」
と告げられました。
” そうですよね。今さら傷が見つかったところでどうにもならないですよね。セメダインやボンドでくっ付けられるわけでもないし。僕が浅はかでした、ゴメンナサイ!” と、T先生に謝りましたが、T先生からは、「いつものことだっ!?」とばかりに大失笑を買いました。
それでもT先生のお取り計らいで睡眠時無呼吸症候群と肺機能の検査を受けることが出来ました。このあたりがT先生の優しいところで、僕が大好きなところなんです。えっへへへ! 結果は重篤な無呼吸・低呼吸による低酸素血症と低肺活量が検測されました。
長年僕が苦しんできた息切れと呼吸困難は、重症筋無力症による筋力低下だけでなく呼吸器機能の障害による酸素欠乏にも原因があったことを知りました。僕は、” そうだったのか!” とようやく合点しました。
T先生からの照会で呼吸器内科のD先生の診察を受けて、身体障害者診断書・意見書をもらって熊野町役場福祉課に身体障害者手帳再交付の申請を提出。見事、「呼吸器障害3級」に合格(?)することが出来ました。バンザーイっ!、です。
(註:呼吸器障害の等級には、まず1級があって、なぜか2級がなくて、いきなり3級になるんです。
そんなふうに制度化されているんです)
ついでに蛇足ながら、僕には変形性頸椎(けいつい)症で右肩から肘と手首の関節までと、左足の股関節から足首の関節まで、ときおり針を刺したような疼痛が走ります。
また両手の親指に変形性関節炎があって、雨だったり曇ったり、暑かったり寒かったり。一年を通して日常的にお天気しだいで痛みが激しくなったり揺るやいだりします。
両手指の第一関節にヘバーデン結節があり、指先の力もなくて細かい作業ができません。食事中に箸や茶碗をポロンと落としたりします。握力は成人男性の4分の1ほどです。
指を疲労させてはいけないのにどうしてもパソコン操作をしなければならず、痛み止めのとんぷく薬を飲みながらキーボードを打っています。
広島県立病院でリューマチの検査をしてもらい、数値はリューマチを示していましたが、専門医からは特定疾患で難病の関節リューマチとは認められないと診断されました。症状が違うらしいです。
4冠達成の道のりはキビシイです(大苦笑)。
僕はもともと免疫疾患体質で、僕の意志とは関係なく ” 免疫さん ” が僕の身体の中で勝手に動き回っていて、ときには悪さをします。” 免疫さん ” の気分次第です。
さらについでにお話しするなら、同じく県立広島病院で心電図の検査を受けたところ、呼吸障害で負担をかけているのか、心臓に軽い不整脈があるそうです。そう言えばミョウに動悸が激しくなったり、時おり心臓にキュンとした痛みを感じることがあります。
ここまでよくもこんなみっともない私事(わたくしごと)に皆さまがたをお付き合いさせて、申し訳ありませんでした。
ただ僕としては今の僕がどうなっているのか、本当の姿・現状を知りたかった。でも知ったところでどうなるのか? どうもならない、ただ素直に認めるだけのことなんですが。
すでに1種1級の身体障害者手帳が交付されていることだし。それに呼吸器障害3級が加わったところで、その上の特別1級とか超1級の障害者手帳があるわけでもなし。もしあったところで現在以上に、障害者援護のための各種の特典が増えるわけでもなし。
今の介護保険制度のサービス(給付)でも、医療の面でどれほど重度の障害をかかえていてもそれを判断材料に入れず、ただ介護保険の要介護度認定基準のマニュアル通りに、日常の動作の中で ” 出来るか出来ないか ” を判断基準にするやり方。
介護申請者が出来るだけ人様のお世話にならないように、無理をしてでも自分でやれることはやろうとしていること。言わばそれは人としての尊厳のために努力していることなのに、いっこうにかえりみられることもなく。
” やれば出来るのですね ” と言われて、マニュアルどおりに数字の点数に置き換えられてコンピューターに打ち込まれて、その計算結果の総合点で介護度が決められる認定基準では、呼吸器障害3級が加わったところで何の意味もなさない。
制度を優先して、人間が置き去りにされている。思いやりもない。
ああ、本当に僕は何を書こうとしているんだろうか? こんな論旨の一貫しない支離滅裂な放埒(ほうらつ)文章を書いてしまって。何をやっているんだろうか!
僕は、中田輝義の ” 生きざま ” を書こうとしているんだと思う。
「呼吸器障害3級」の障害者手帳を手にしたことをキッカケに、僕はこれからの残り少ない人生をどう生きようとしているのか? そしてどのように死を迎えようとしているのか? いよいよ人生の終盤をむかえているのに、なお、あらためて僕の ” これから ” を見つめ直そうとしている。 ” 生きた証 ”、存在証明を残そうと足掻(あが)いているのだと思う。
考え合わせれば、僕の「terry ‘s room」の ” フォトギャラリー ” コーナーだって、何やら「中田輝義写真『遺作』集」の様相を呈してきたし、このブログも遺言状の一部だと思えなくもない。
ただ思うのは口幅ったいことだけど、僕は「terry ‘s room」の中でこんなにも恥じをさらしながら、でもいろいろなキツいことや困難なことがあっても何とかへこたれず、夢と希望を持って生きていこうとしている。
そんな僕なんかのお話していることでも、ひょっとして障害者にとっても健常者にとってもそれぞれの人生に、何かを感じとってもらえるだろうか。少しはお役に立ったり、何かの参考にしてもらえるかもしれないというあわい希望があるからなんです。
それは自分に都合のいい独断で傲慢なことだけれど、もしそうなったら光栄でとってもうれしいことで。それは僕の現世ではかなわなくても、後々の世の人たちに少しでも伝わったならと。それが僕の今を生きる拠(よ)り所かもしれないと、そう思えるのです。
「呼吸器障害3級」の障害者手帳を取得したことを契機に、とんでもないところに飛び出してしまっていますが、僕はそんなことを考えていました。
もしよかったら、今後ともよろしく倦(あ)きずにお付き合いください。
ありがとうございました。
中田輝義 拝
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るりるり (土曜日, 31 8月 2013 16:05)
テリーさんお久しぶりです。るりるりです。
”生きざま”、残したいですよね。
書くこと、を大切にしている人ほど… そう思ってますよね。
当り前の 日常の動作が何気なくできる人にはわからない
ご苦労がおありと 深くお察し申し上げます。
私もこの半年ほど、消化器系疾患で 痛みや腫れで 日常に支障、
食事も今までのように 摂取できないので…(-.-) 少しわかります。
何気なく呼吸し、何気なく歩き、生活できる人には
理解し得ない コトがありますよね。
「自分の身体に何が起こっているのか、なぜそうなったのかを知りたい」
実はワタシが今その状態で、同感してしまいました。
何度おたずねしても 画像とデータに鮮明にわかる「何か」がないと
診断つかないから、曖昧な病名をつけられてお薬を出され、
次々と「検査を重ねましょう」と云われ…検査もしんどいです。
キモチ的に がんばれなくなってきました。
近所の鍼灸院さんのほうが「ここがこうなっていますね。」って
よっぽど当てるなあ、って 思ったり
”現代医学(西洋医学)、じゃ 私の病気は治らないのかも…” って想います。
元々好きだった 東洋医学や漢方治療をメインにした治療へ
戻るべき時期が 訪れたのかな?と想いました。
新しい道を模索しながら もう少しだけ、大学病院にお世話になってみます。
テリーさん
日々、いろんなことがありますが
一緒に一日ずつ 大切に生きていきましょう\(^_^)/
るりるり
kokedamaringo@mail.goo.ne.jp
中田輝義 (月曜日, 02 9月 2013 11:05)
るりるりさんへ、
メールを拝読しました。
僕の「3冠達成」報告に、レスポンスなんか絶対にないだろうと思っていたのに、
それもるりるりさんからのコメントに驚きつつも大感激しております。
いろいろ考えさせられています。
でもるりるりさんからのコメントに、
僕自身、少々、救われた気分がしております(笑い)。
本当にありがとうございました。
いま僕はかつての『つれづれの部屋』でいろいろな話題を書き込みしたり、
お互いの人生観も織り交ぜて、メールのやり取りをしていたころに思いを馳せておりました。
そして今もう一度、僕の自費出版本「つれづれの部室」を読み返しておりました。
そこには、チョットHっぽいお話しにも率先して加わりつつ、軽妙なジョークで切り返したり。
でも触れればすぐにでも落ちてしまう小さな花の花びらのように、切なくも繊細なるりるりさんの姿がありました。
少し長くなりそうなので、ブログコーナーに新しく「るりるりさんへの手紙」で書き込みをして続きをお話しします。
よろしくお願いします。
テリー 拝
るりるり (火曜日, 03 9月 2013 14:40)
テリーさんへ
ありがとうございます。うれしいな~
「つれづれの部屋」
懐かしいですね。私も昨日、奥の奥に大事にしまっている
それをそ~っと引き出し、座り込んでノスタルジーに浸りました。
テリーさんのお手紙も一緒に拝読…
ちなみにワタシは 出生~2歳まで東雲本町1丁目 在住でした。
あれから今も…
元アンネットの一部が つながりあっているコトに感謝
fumifumiさんが友達の輪の「核」を担って下さっているコトに最高級の感謝
3年前まで 住まいを県外にて 転々としていましたが、
母の入院を手伝うために帰郷していた 2007年の夏
新聞でテリーさんの記事を見つけて、独り大騒ぎして(笑)
すぐ切り抜き… それは今もココにあるけど(^^)v
一つ一つが今につながっていると思うと…偶然がとても愛おしいです。
ありがとうございます。
るりるり
seks telefon (火曜日, 31 10月 2017 21:21)
nieprzejawianie