熊野第4小学校特別授業・エピソード 2

 

 熊野4小に着いて、教頭先生が手押しして下さる車イスで特別授業が行われる会議室に入ると、子どもたちはいっせいに食い入るように僕のほうを見つめてきました。まるで肌に突き刺すようなするどい80個以上の瞳に、僕は一瞬、圧倒されそうになりました。心臓もキリキリと痛みます。でもこれって僕のお話を期待していることの何よりの現れ。緊張しながらも僕はうれしい気分にさせられました。

 

 どんなに不格好(ぶかっこう)になったって、かまわない。この子たちのために誠心誠意、一生懸命にお話しさせてもらおう。僕はそう決心していました。

 

 

 

 

 I先生:これから「電動車イスひとり旅」の中田輝義さんをお迎えして、道徳授業をはじめます。

 

日直生徒:起立っ! 礼っ!

全員  :中田さん、本日はよろしくおねがいいたします!

 

ハイ、こちらこそよろしくおねがいいたします。

 

I先生:それでは最初に中田さんから電動車イスについて説明していただきましょう。

 

みなさんは、電動車イスを間近で見たことがありますか? 

見たことがある人は手をあげて下さい。

ああ、けっこうたくさん見たことがあるのですね。

 

 本当は今日は電動車イスで来たかったのですが、あいにくのお天気で来れませんでした。残念です。

電動車イスは車体の中にあるバッテリーで動きます。バッテリーを充電するのは、車体からコードを取り出してコンセントに差し込んで充電します。電動車イスの最高速度は時速6キロメートルで人が歩く速度より少し速いぐらいです。連続走行で約25~30キロの距離が走れます。

 でもバッテリーを使い切って空っぽの状態からフルに戻すためには4~5時間かかります。途中バッテリーが切れて国道の真ん中で動かなくなったら、それはとっても困ることなので、だから確実に旅を続けていくためには、2時間約12キロを走ったら2時間充電するというやり方のほうが絶対に安全です。

 こうしてだいたい一日に平均して30キロぐらい毎日少しずつ進んで、北海道の札幌までの1830キロメートルを75日間かけて到着しました。

 

 

I先生:みんな中田さんに聞きたいことがいっぱいあったでしょう? どんどん質問しましょう。

 

Q(男子):アクセルやブレーキはどうなっているのですか?

 

 ハンドルの真ん中に右手でも左手でも両方で使えるようにレバーが付いています。そのレバーに手を乗せて押しつけるとアクセルになって前に進みます。逆にレバーから手をはなすと自動的にブレーキがかかるようになっています。僕たちのような手に握力がない障害者は自転車のブレーキのように握りしめることが出来ないので、このレバーだけでアクセルとブレーキの両方が操作できるようになっています。右に曲がったり左に曲がるための方向指示器のレバーも付いています。

 

 最初はやっぱり運転になれていないから、いきなり外の道路で走るのは危険です。だから充分な練習をしなければなりません。道路上では他の車はどんなふうに追い越して行くのか。対向車はどんなふうに向かって走ってくるのか。交差点の渡り方や歩行者とすれ違うこと。

 みなさんはふだん歩道を歩いたり自転車に乗っているとき、歩道にはいくつもの段差があることなど、あんまり気にかからないかもしれません。でもこの電動車イスでは高さが10センチメートルの段差があれば乗り越えられません。だから前方の道路の状態をよく確かめて、バックミラーで後ろの方の車の走る様子にも注意をして、まず安全に走れるよう充分な練習と準備が必要です。

 

Q(男子):電動車イスがこわれることはなかったのですか?

 

 電動車イスは僕のところに新車でやった来ました。新車だったから信頼できるし、これなら北海道まで行けるかなぁ~と思いました。でもいくら新車だとは言っても、もちろん壊れる可能性はあります。でも壊れることを心配していたら旅に出られない。何も前に進めない。

 僕にとってこの旅は、札幌の友人で進行性筋ジストロフィーの難病患者の香西智行さんに会って、病気や障害に負けないよう励ましてあげることと、僕自身が難病患者で身体障害者だけれど、これからも自信を持って生きていくためのとても大切な旅でした。まわりの人たちからは、なぜ飛行機や汽車じゃダメなの? なぜサポートをしてくれる人がいっしょじゃなくて、携帯電話も持たないで、なぜひとりなの? 無謀だ、危険だ、自殺行為だと猛反対されました。でもどうしても行きたかったので出発しました。

 でも先っきもお話ししたけど、ただ行きたいからだけではダメで、交通事故にあわないように電動車イスの充分な練習と準備は必要ですね。

 

Q(男子):旅の途中で道に迷ったことがありますか?

 

 全国道路地図帳を持って行きました(笑い)。さっきの電動車イスのことをお話ししたときにも言いましたが、バッテリーを充電するのに2時間かかります。この2時間の間に休憩のために電動車イスに座ったまま居眠りをしていましたが、道路地図帳をよく見て次のコースのために計画を考えていました。

 行き当たりばったりで旅をするのではなくて、どのコースを行けば安全で近道か、どこで充電できるか。地図をよ~く見て、そうやって毎日地図を注意深く見て旅をしていると、いろんなことを経験して、だんだんと知恵がついてきます。次のコースはどうしよう、その次は?と、先々のことを考えて準備していると、道は迷わないんです。だから充電をしている2時間はとっても大切な時間でした。

 

Q(女子):うれしかったことは何ですか?

 

 充電させてもらったこともうれしかったことですが、初めての町で今まで会ったことがない人たちから、お腹が空いてペコペコのときにおにぎりをもらったり、寒さにふるえながら国道を走らせていて、電動車イスの充電に立ち寄った先で、温かいミルクコーヒーとビスケットをご馳走してもらったり、今夜泊まる宿が見つからなくて困っているときに旅館をお世話してもらったり。冷たい雨の中をカッパを着て電動車イスを走らせていたとき、雨宿りをさせてもらった民家で、ストーブの炎を真っ赤にして暖ませてくれたり。本当に、旅の途中の苦しいときつらいときに、予想もしていなかった親切をしてもらうと、それはとっても有り難くて、とってもうれしいことでした。

 

 もうひとつ。僕は旅の途中で何度も僕と同じ電動車イスの人と出会いました。他にもいろんな障害を持って生きている身体障害者とも出会って、お話をしました。

 僕は自分の住んでいる地域以外の、日本のどんなところにだって、それぞれが自分の住んでいるところで、障害者が元気にがんばって生きている姿を見ました。それもうれしかったことです。僕は旅の途中で、「僕も負けるもんか。必ず札幌に着いてみせるぞ!」という勇気をもらいました。

 

Q(女子):旅で心に残ったことは何ですか?

 

そうですねぇ~(・・・・・・)、う~~ん、

 

 僕は、いろんなところで今まで会ったことがない人たちから、思いもしなかったような助けを受けました。でもなぜこの人たちは赤の他人で見ず知らずの旅の障害者の僕のことを助けてくれるんだろう?

 

 先程、バッテリー充電のことをお話ししましたが、充電するのは郵便局や町役場や道の駅にコンビニ、ときには警察の交番所に駆け込んでお願いします。でもバッテリーが切れかかったところでいつも必ず充電できる場所があると限りません。初めてやって来た町や集落で、全然知らない普通の民家にお願いしなければならないこともありました。

 

 みなさんは想像も出来ないかもしれなけれど、日本国内にはいろんなところがあって、コンビニすらない町もあるんです。この熊野町にだってコンビニは何軒もありますよね。だから今まで会ったこともない人に充電をお願いすることは、けっこう勇気のいることでした。

 道路のそばにあった民家にトコトコと入っていって、「旅の者ですが、この電動車イスのバッテリーを充電させて下さい」とお願いすると、大抵は「いいですよ」と気安くやらせてくれますが、中にはあきらかに迷惑顔で断られることもありました。全然見ず知らずの電動車イスの障害者が突然やって来て充電をお願いすれば、気味悪がって、毛嫌いすることもあるでしょうね。それもしかたのないことです。

 でもここで落ち込んだり悲しんでいたのでは先に進めない。ここがダメなら次ぎに行けばいいんだ。次のところではきっと充電をやらしてくれるだろうと思い直すことにしました。でもほとんどのところではお客さんをもてなすように親切に充電させてくれました。

 

 なぜ僕のことを助けてくれるんだろうか?

僕は最初のころは、僕が充電させてくれそうなところや民家を見つけ出して、僕が旅の経験と知恵と勘を働かせて、上手くやってきた。これは僕の努力の成果なんだと思っていました。でも僕が思いもしなかったようなところで、何度も見ず知らずの人たちから助けられたことがありました。

 

 これっていったい何だろう? けっして僕の努力だけでは片づけられないことだ。そしてよくよく考えてみると、それは僕がひとりで一生懸命に何とかがんばっていたからなんだ。そんな姿を見て、人は見るに見かねて、それで助けてあげようと思ってもらえたからなんだ。僕が最初から他人の助けを当てにするような態度だったら、そんな僕のズルいところをちゃんと見透かして、他人様は決して助けてなんかくれないだろう。僕がひとりで何とか頑張っていたから、人は助けてくれるんだ。僕は僕の努力の成果だと思っていた自分自身の傲慢さに気づかされました。

 

 ひとりで在(あ)ること。

僕はなぜサポートも付けないで誰も助けてくれる人もいないで、まわりの人たちから危険だ無謀だと言われるようなひとり旅をしようと思ったんだろうか? 僕は、あえてひとりで難しいことに挑戦してみる。日頃の日常とはちがうところに自分の身を投げ出して、自分ひとりの力でやり遂げてみる。そんなひとり旅から、難病患者で身体障害者の僕が、これから生きていくエネルギーを獲得したい。そう覚悟して旅に出ました。

 そして旅の中、前を見ても後ろを見て誰もいない道路で時速6キロの電動車イスを走らせていると、自分の人生を考える時間はたっぷりあるし。僕はどんな人間なんだろう? 僕はいったい何をしたいんだろう? どう生きたいと思っているんだろう? 

 

 本当は誰だってひとりなんて孤独でイヤなことだと思うかもしれない。でもあえてひとりに成(な)ってみる。旅が苦しくてつらくて難しいほど、掛け値のない本当の自分自身が見えてくる。人はときにはひとりで在るって、とても大切なことなんだ。

 僕は旅する中で、こんなことを心の中で思っていました。

 

みなさんにとって、少し難しいお話だったかもしれないですね(笑い)

 

 人間、誰だって何でも楽なほうがいいよねぇ~?(笑い) 毎日決まったようなことや慣れていることをやっていて。ああ、これぐらいでイイヤと、それで済ませられることをやりこなしているだけだったら、そのほうが楽だよね。でもそれって、ただやったというだけで、あらためて「僕はやったっ!」とか、「私は出来たっ!」とか、そういう感激があるかというと、そうでもないかもしれない。

 でも日頃の自分の生活の中では、たとえば宿題にしても掃除当番にしてもちょっと難しいこと、イヤなこと、できればさけて通りたいことって、誰でもあるよね。そんなときに逃げないでやれたとき。やり切ったとき。自分がきれいに洗われたような清々しい気分になれます。

 

 僕は旅の中で、そしてちょっと難しいと思えることをやり遂げたとき、ものすごい達成感とか、生きているという充実感を感じました。これが旅で心に残ったことです。

 

Q(男子):旅をしてキツかったことは何ですか?

 

 今日もそうですが、毎日電動車イスを運転していると、天気のよい日ばかりではありません。雨が降ったり冷たい風が吹く日もあります。僕は雨の日には薄いビニールのカッパを着ていましたが、土砂降りの雨に降られて、全身ずぶ濡れになったことがあります。そのために風邪を引いてしまって呼吸が苦しくなって、その日は出発できず、旅館で寝ていなければならないこともありました。

 もうひとつは、全国の国道でも地方道でも必ず歩道がついているとは限りません。特に都市の市街地から離れた郡部の国道では歩道はほとんどなくて、路肩のはじの白線の上を走らなければなりません。

 後ろから走ってきた大型トラックのタイヤの高さは、電動車イスに座って運転している目の高さぐらいになります。僕のほんの肩先を時速60キロ以上で唸るような大きな音をけたてて回転しているタイヤが走り抜けていきます。吸い込まれそうになるし、もっとスピードを上げて走り去るときには、風圧で電動車イスごと僕の身体が飛ばされそうになります。本当に、怖いです。

 中には対向車が通りすぎるのを僕の後方で待ってから、それからゆっくりとスタートしてくれる車もいましたが、大抵はみなさんお急ぎなのでしょう、センターラインぎりぎりに僕を追い越していく車が多かったです。

 

Q(男子):身体が不自由になったとき、どう思いましたか?

 

ああー、来たぁ~!? やっぱりこんな質問が、来たーっ(大苦笑)。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 やっぱり目の前が真っ暗になりました。僕はカメラマンの仕事が大好きでした。僕の天職だと思っていました。でもこんな病気になってしまって、僕にはもう写真は撮れなくなる。生きる目標を失うことになる。僕はこれからどうやって生きていったらいいんだっ! 本当に真剣に悩みました、苦しみました。何をする気力もなくて、自分の中に閉じこもっていました。

 

 長い時間が過ぎて、やっと心が落ち着いてきて、自分で自分の姿を見つめることができるようになってきました。少しずつ自分のまわりの状況や世の中に起きていることに目が向けられるようになりました。そうしたら僕のように病気になったり車イスの障害者になったりした人たちが、自分の障害に負けないで一生懸命に生きている姿を知るようになりました。

 

 僕は僕が撮ってきた写真のことを思い出しました。そうだ! 僕はずうっーと、寝たきり老人や難病患者や身体障害者の写真を撮ってきたんだ。身体が不自由になってもがんばって生きようねと言って励ましながら写真を撮っていたのに、それなのに、その僕が難病患者で身体障害者になったときにへこたれていたんでは、あのおじいさんおばあさんたちみんなに嘘をつくことになる。自分の写真がウソになる。こんなときこそ僕は、自分が出来ることで一生懸命にガンバって生きなければならないんだ。やっとそう思えるようになりました。僕は僕がかつて写真を撮ってきたお年寄りや難病患者や身体障害者の人たちに、救われたんですね。

 

 だから今回の「電動車イスひとり旅」をやろうと思ったのも、多くの障害者の仲間や新しく身体障害者になってしまった人たち。また健常者であっても、何か今の世の中を生きていくのがツライと感じて、いろんなストレスを心に病をかかえている人たち。自分の将来に希望が持てないでいる人たち。そんな人たちを励ましてあげたいという、そんな思いがあったんです。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 

(質問した生徒に)、この答えでいいですか?

こんな質問をしてくれて、ありがとう! ありがとうネ。

 

Q(男子):旅の途中、家に帰ろうと思ったことはありますか?

 

 ありません。僕には札幌に進行性筋ジストロフィーの患者として生きている香西智行さんという友人がいました。その香西さんが風邪をこじらせて入院して、もう最期かもしれないという状態になっていました。だからそんな香西さんに会って励ましてあげたいという希望があったので、僕が電動車イスで苦しいことや辛いことがあってもひとりで旅をして会いに行くから、頑張って生きてねという思いがあったから、旅でどんな困難なことがあってもそれは覚悟のうえでしたから、僕は最後まで無事に札幌に着くまでは途中で投げ出して家に帰ろうと思ったことは一切ありませんでした。この答えでいいですか?

 

Q(女子):北海道に着いてどんな気持ちでしたか?

 

 僕は北海道の札幌市で、香西さんをはじめとしてたくさんの友だちにかこまれながら、20年近くカメラマンとして生きていたので、北海道に着いたときは故郷(ふるさと)に帰ってきたような気持ちでした(笑い)。

 もし僕が飛行機でブ~ンと簡単に帰っていたり、汽車でドーンと楽をしながら帰っていたら、そんな感慨はなかったと思います。やっと着いた帰ってきた!といううれしさはなかったと思います。

 

 僕は先ほどもお話ししたように、毎日毎日電動車イスをひとりで走らせながら、雨の日だったり風に吹かれたりしながらそのころ60日間ぐらいかけて旅をしてきて、やっと北海道に着きました。そんな苦労や困難があったからこそ、僕が北海道の土をふんだときの喜びや感激はいっそうでしたし、身体がふるえてくるほどでした。

 

 そんなときに北海道の自然を見たときに、なんと美しい風景だろうなぁ~と思いました。山を見ても空の青さを見ても雲の流れを見ても、それは今まで見たこともないような新鮮な風景に見えました。そのことがものすごくうれしかったです。

 だから、毎日同じように見える風景でも、自分が何かやろうとしてやり遂げたときには、全然違ったものに見えます。みなさんも毎日見ている熊野の山も空も熊野川の川の流れだって、今までと違ったものに見えます。

 僕が北海道に着いたときの気持ちは、そんなうれしさでした。

 

Q(男子):北海道の香西さんに会ったときはどう思ったのですか?

 

 う~~ん、あのねぇ~、・・・・・。毎日電動車イスを走らせていて、だんだん北の方に行って、一日一日北海道が近くなって、だんだんだんだん札幌に近づきはじめると心がワクワクウキウキしだして、ああ、やっと香西さんに会えるんだという思いで興奮してきました。

 会ったとき、どんな話しをしよう。最初にどんな顔をして会おう。いろいろ想像して、昔のことも思い出したりしてクスリと笑うこともありました。そんなことを思いながら国道で電動車イスを走らせているのが、楽しみでした。

 

  そして会う日がやって来ました。パッと会ったらね、それまで10何年間会っていなかったのに、まるで一週間ぶりにやって来たように、「こんにちはー、来たよー」という感じでした。会ったとたんにそれまでの10何年間の会っていなかった空白の時間が一瞬にパッと消えて、僕は今までどおり札幌に住んでいて、久しぶりに訪ねて来たというように、すうーっと会ってしまったんです。

 

(質問をした生徒に)なぜだと思いますか?

 

男子生徒:・・・・・・? 親友だったから。

 

 そう!? そのとおり、えらい!(僕は思わず、拍手をする) そう、親友だったから。

 

みなさんも拍手をしてあげませんか?(クラスから拍手が起こる)

 

 本当の友だちというのは時間だとか場所とかいうものは問題にならない、超越しているんですね。毎日、お互い常に死と向き合っているような生きかたをしていて、だから一日一日を楽しんで生きることが大切で。北海道の札幌市と広島県の熊野町と離ればなれになっていても心はつながっていて。だから10何年間の空白がちょっとも気にならなかった。あんなにも会うまでは心臓がドキドキしていたのに、会ってしまえば本当に打ち解けて、ああだったねこうだったねと、楽しくお話しをすることが出来ました。

 

 素晴らしいね、君はネ。(僕はもう一度拍手をする)

 

 I先生:まだまだ聞きたいことがいっぱいあると思いますが、どうですか?

 

Q(女子):北海道から帰るとき、どうやって帰ったんですか?

 

 あのね~、あははは!(大苦笑) さすがに飛行機で帰って来ました(テレ笑い)。

 

 僕が最初に北海道までの電動車イスの旅に行こうと思って僕の県立広島病院の主治医に相談したとき、先生は最初は驚かれたんですが、僕の決意の固さを知って、先生はこんなふうに言ってくれました。

 

「 中田さんはいくら止めても行く気なんでしょう? 人間、何もしないで、ただ長生きすることが良いことではありません。だから行くのは電動車イスで行ってもいいけれど、帰りは飛行機にして下さい。今の中田さんには帰りも電動車イスにする体力は、絶対にありません。本当は主治医として認めてはいけないことなんですが、止めても中田さんは行くのですから、帰りは絶対に飛行機にすると約束してくれますか? それなら許可します。」

 

 通常の医師だったら、こんな旅は絶対に認めてくれません。もし許可をして僕が身体の調子が悪くなって不測の状態におちいるか死んでしまったときに、責任を問われるのは主治医の医師だからです。

 でも僕の先生は変わっているというか、偉いというか、医師として根性がすわっているというか。他の医師だったら絶対に出来ない、特別のめったにない判断をして下さいました。本当に有り難くてうれしかったです。僕のこの旅の一番目の大恩人です。だから僕はこの先生の信頼に応えるためにも、またご迷惑をおかけしないためにも、僕は絶対に生きて無事に北海道に着いて、生きて広島に帰ってこようと固い決心をしました。

 

Q(男子):旅のときは、どこで寝たのですか?

 

  旅館やビジネスホテルやユースホステルに泊まりました。

僕は誰もサポートをしてくれる人もいないでひとりで旅をしていたから、自分でその日行った先々でタウンページを調べて、自分で予約の電話をしてその日の夜に泊まるところを探さなければなりませんでした。

 

 電動車イスで旅をしていたら、その日の天気だとか僕の体調だとかで計画が変わってしまうから、前もって予定を立てて次々と予約をとって宿を確保しておくことが出来なかったんです。だからその日行けるところまで行って、そこでその夜の宿を見つけなければならなかったんです。

 もう午後の1時を過ぎて、チェックインというか予約の出来る時間になると、さあー、今夜の宿はどうしようと、午後からはそればっかり考えて電動車イスを走らせていました。

 

Q(男子):電動車イスで寝たことはあるんですか?

 

 えっ!? ああ~、あの~・・・? 旅の途中で旅館に泊まれないで、電動車イスで寝たことがありますか?という質問ですね。いわゆる野宿をしたかどうかということですよね? その質問で大丈夫ですか? 分かりました。わー、思いもしなかった質問だなぁ~(にが笑い)。

 

 ありません。もし僕が旅館に泊まれなくて夜に野宿なんかしてしまうと、それは僕の病気にとって非常に悪いことで、生命(いのち)の危険があるんです。だからそれは絶対に許されないし、してはならないことだったんです。

 そのためにさっきもお話ししたように、午後になって一番に確実に予約が取れるように宿探しに必死になるんです。朝に出発するときはだいたいこの町まで行けるだろうと思っていても予定が変わることもありますから、行った先々でその夜の宿を見つけることになります。

 

 でも最初に電話で予約を入れるときは、身体障害者で電動車イスで旅をしていることは告げません。予約の段階で断られることがあるからです。旅館やビジネスホテルにとってはやっかいなお客さんは出来るだけ避けたいと思うのでしょうね。だから予約を取って直接泊まり先に行って、いきなり玄関の中まで入ってしまいます。

 僕も旅を続けてしたたかになったというか、経験を積んで知恵がついたというか、旅館側と対抗するための身についた方法だったんです。

 

 そのとき旅館の主人やビジネスホテルのフロントの受付係は、ああ、車イスの障害者だったんだと気づきます。

 僕は、「自分のことは自分で出来ますから泊めて下さい」と気迫を込めてお願いするわけです。そうすると向こうは折れて、しかたがないと思うわけです。

 もちろんすべての旅館やビジネスホテルがそんなのばっかりじゃなくて、「よくいらっしゃました!」と歓迎してくれるところや、「疲れたでしょう」と言って、部屋まで抱きかかえて連れていって下さる旅館もありました。玄関の段差のため車イスでも入れるよう、常備、厚い大きな板を準備している宿の女将さんもいました。有り難いことでした。

 

 その夜に泊まる部屋を獲得することは、僕にとっては戦いでした。そうするのも僕は野宿なんかしたら体調が変わって、生命(いのち)を失う危険性があったからです。だから宿探しはとても大切で、野宿は絶対にしてはならないことだったんです。この答えでいいですか?

 

 (I先生へ)、もう少しだけ時間いいですか?

 

 みなさんが何でも物事をするときには、パッと思いついたことをパッとやるときがあるかもしれません。パッとしたひらめきも大切なんだけど、本当に思ったことをやるためには、こんなこともあるだろう、あんなこともあるだろうといろんなことを考えてイメージをして、そのために的確な準備をしなければなりません。

 パッと思いついてパッとやったことは、あらかた80%から90%ぐらいは、失敗します。パッと思ったことでもこれが本当に出来るだろうか?出来ないだろうか? ああしたら良いだろうか?こうしたら良いだろうか?と一生懸命考えて準備したことは、逆に80%から90%、成功します。あとの10%から20%は分かりません。そこまで達成しようと思えばもっと準備と努力をしなければなりません。

 それほどあらかじめ前もって準備することやよく考えてやることは、ものすごく大切なことです。

 

 I先生:時間が来てしまいました。今日は中田さんに北海道までの電動車イスの旅についてお話ししていた

    だきましたが、自分たちの生活に役立てられることもたくさん教えてもらったと思います。

    では今日の授業の感想を各クラスの学級代表からお願いします。

 

 1組学級代表・男子:旅をしたことに質問をして、ていねいに答えてくれてありがとうございました。

 

 2組学級代表・女子:電動車イスで旅をしたことの話しを聞いて、私も準備することを心がけたいと思いま

          した。

 

 3組学級代表・女子:電動車イスで不自由な旅をして、知らない町を行くのはすごいと思いました。

 

全員:今日は、わざわざ来てくれて、たくさんお話ししてくれて、ありがとうございました!

 

こちらこそ、ありがとうございました。

 

 

 

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