『ふらんすはあまりに』

 

 

 

 『ふらんすへ行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し。』

 

 荻原朔太郎の詩の一節である。

そして朔太郎は、とどかぬ思いを嘆き、せめてはと新しい背広を着て、汽車に乗って気ままなる旅へと出かけるのである。

 ここで著わされたひらかなの『ふらんす』は、実際のフランスとは違う朔太郎のあこがれの地としての『ふらんす』、という意味なのだろうか?

 ま、それはともかくとして、ふとこの詩が思い浮かんだとき、どうしても海が見たくなって宇品港へとやってきた。人間、妙なことでむしょうに海が見たくなるときがあるもんなんだなあ。

 でもすぐに、来るんじゃなかったと後悔した。海が見たかったのに港を見るハメになってしまったからだ。

 それにしても宇品港はすっかり様変わりして、かつての面影がぜんぜんなくなってしまっている。

 

 そのむかし、ボクが子供のころに見た宇品港には暗く、淋しく、そのくせざわざわと騒がしいのに、なぜかうら悲しいそんな印象があった。まわりは話し声でいっぱいなのに、大きな荷物を抱えた大人たちのひとりひとりは、無口だった。

 瀬戸内の島々から一獲千金の夢を持って仕事でやってきた人、その夢に破れて故郷に帰る人。出稼ぎの人。送る人、送られる人、迎える人、迎えられる人。出会いと別れ。悲喜こもごも、人生の流転。今から思えばそんな風情があったのかもしれない。

 後年、ボクが北海道に移り住んだとき、なんどか青函連絡船に乗る機会があったが、しょっぱい河をへだてた、函館駅にも青森駅にも同じなつかしいなあ~と感じる雰囲気があった。その青函連絡船も今はない。これは、余談。

 

 桟橋、波止場、宇品港駅の構内の待合室。フェリー、ホーバークラフト、連絡船。すべてが変わってしまった。海の照り返し、輝きさえも。路面電車の宇品港駅、街並み。そう、昔この辺りは港町、色街の風情、情緒があった。いまは、大型道路の建設、区画整理でホコリっぽいどこにでもあるような街になってしまった。変わってしまった、ただ変わってしまっていて、他に何もない。

 変わることは良いこと、しかたがないこと。でも、便利さ、時間短縮、土地転がし、金銭での見返り、そんなもので長年築き上げてきたものが、住み慣れた街、見なれた街並が、つぎつぎ壊されていくのはなんとも悲しい。老いていく者の、退(ひ)かれ者の端唄、悲しいことばかり見るのなら、そんなに長生きもしたくなくなる。

 

 待合室の堅いイスに座っているのも飽きてきて、もう帰ろう。

夕暮れ、帰る途中に、ふと、詩の一編が頭をよぎった。 

 

 『ぷれあです星団へ行きたしと思えども、ぷれあです星団はあまりに遠し。せめては宵の明星への気まま  なる旅にい出てみん。』

 

 そのうち、こんな詩を読む人が現れるのだろうなあ。そんな時代の『あこがれの地』って、何処にあるんだろう?

 

 『何となく憂鬱の日、うれしきことのみ考え、自転車をこぐ、心まかせに。』

 

 

 

terry-nakata

 

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