『 ハクっん!』

 

 

 それは、いつもの散歩の途中に起きたことだった。

 

場所は、猿喉川沿いの遊歩道。時は、あたかも春の夕暮れどき。今年の冬は例年になく長く寒く感じられた。やっと暖ったかくなって、木の芽草の芽もほころびはじめ、渡り鳥の季節、モノみな生命あるもの、うごうごとうごめき始めている。遊歩道ではこの時間になってもまだ散歩やジョギングを楽しむ人がいる。それでもやはり3月、春の宵もつるべ落とし、すうっと肌寒くなってきた。

 

 そろそろ帰ろうかと思いかけた矢先、目線よりやや高く目の前3~4メートルのところ、ふわふわと飛んでいた一匹の羽虫が、一瞬の刹那、消えた。それは、なにものか黒い陰が羽虫にさっと忍びよったのと、『ハクっん!』という音が聞こえたのとほとんど同時だった。聞き違えではない。たしかに『ハクっん!』という音を、聞いた。聞こえた。

 

 「何んなんだっ!」 当たりを見わたす。

 「ツバメだっ!」 背筋に電流がビクッと走った。

 

 「ツバメが羽虫を捕った」 ここは広島の街の中、アフリカのサヴァンナではない。それなのにごく当たり前のように野生のハンティングが行われている。最初は何ごとが身近に起きたか解らず恐ろしかった。事情が解れば驚愕し、やがて畏敬となった。身の内に起きたザワザワとした興奮がおさまらず、手のひらや背中が汗ばんでいた。このザワザワは妙に快いものだった。

 

 

                『 ハクっん!』の、その後

 

 

 その夜、ベッドに入ってもまだその興奮は続いていた。

 

 眠る前のひととき、ボクはいろんなことに想像をめぐらせるクセがある。妄想にも近い。疲れはてて眠れば夢の中までも妄想をしている。ヘンな夢から変なインスピレーションが浮かぶことも、まま、ある。

 夕方、散歩中、ツバメが目の前の羽虫を一瞬のもとにハントする場に遭遇した。ツバメが忍び寄る気配を感じることが出来なかった。ツバメと云えば、昔、剣豪佐々木小次郎は飛ぶツバメを斬り落とし、「燕返し」という必殺技をあみ出したという。さすればボクなんて、あの場で一刀のもと真っ向う落としに斬り下げられていただろう。「うむっ、無念!」(笑い)

 

 気配といえば、、、、、、。

そう、それで思い出すことがある。

 

 もうだいぶん前のこと、北海道日高地方の軽種馬育成牧場近くにキャンプに行ったときのことだ。ジンギスカン料理のための火を起こしている間に、お散歩に出かけた。ブラブラと歩き回っている、と、牧柵の上に一匹の小鳥がとまっているのを見かけた。めずらしい、シジュウカラだ。通路になっている牧柵と牧柵のあいだは4mほど、そのまん中をボクはゆっくりと歩をすすめている。シジュウカラまでは10mあまり。ボクは心の中で叫んだ。 ”飛び立つな!”ボクは自分の気配をけしてそのまま歩き進んだ。

 

 ”たまたま君は鳥で、ボクはたまたま人間というだけだ。この地球上の同じ生き物であることではイコール   だ。ボクは危害を加える物ではない。ボクは君が羽根を休めている君の領域をけっして侵害しない。た   だ、通り過ぎるだけだ。小鳥くん、安心してくれたまえ。”

 

 8m、5m、3m、ボクは自分の邪気が身体から発散することをとどめ、呼吸を整え、無の境地、腰でゆったりと歩き、小鳥の方には目もくれなかった。

 すれ違った。小鳥は飛び立たなかった。ボクは振り向きもしないでそのまま歩き去った。ここまで来ればもう安心と思い振り返ったら、やはり小鳥は飛びっ立ったあとだった。ドッと疲れた。大げさではなく、本当にしばらく歩けないほど疲れた。もうこんな芸当は二度と出来ないだろうと思ったが、ひょっとかして、剣の極意とはこのようなものか、それをボクは体得したのかとほくそ笑んだものだった。

 

 

                 非発展的な『 ハクっん!』

 

 

 ベッドの妄想は続く。

 

 北辰一刀流の祖、千葉周作の皆伝の書には、「それ、剣は瞬息、心技体の一致」と著わされている。ある夜、神田お玉ヶ池千葉道場の人気をねたんだ不埒者が、暗闇の中、千葉習作を待ち伏せしていた。えいっ! と賊が斬り付けたところ、千葉習作は、気配を察知しさっと跳び退き、跳び退きながら刀を抜き放ち、抜き放ちざま相手の刃をたたき落とした。それはひと呼吸のほんの一瞬の間のことで、次のひと呼吸の時にはすでに体勢を立て直し、剣を正眼に構えていたというのだ。すごい!「心技体の一致」、、。言葉もない。

 

 心技体、といえば、、、、。ああ、またそれで思い出してしまった。

 

 知人の北海道石狩郡石狩町の教育委員会学芸員のSさんに誘われて、石狩町郷土資料館を訪れたことがある。町内で出土した北海道アイヌ民族の狩猟用の弓の破片をみせてもらったときのことだ。弓の破片から復元したレプリカと設計図を手にした時、身体がぶるぶるっと震え、血がザワザワっとうごめくのを感じた。この弓に矢をつがえ、今まさに獲物にむけ矢を放そうと構えている映像がはっきりと脳裏に浮かんだのだ。

 

 古来日本の和弓は、いわゆる満月のように弦をいっぱいに引き絞り、弓全体の撓り返りで矢を放つ。遠くまで飛ぶが、命中率を高めるにはよほどの修練がいる。それには身体の鍛練だけでなく精神の鍛練も要求される。弓道といわれる所以だ。

 西洋の洋弓は日本の半弓ほどの大きさで、材質がかたく、本体中央部は太くがっしりとしていて、弓の両端は本体中央部より薄く削られて造られている。この両方の端の部分をしならせて矢を放つ。反動も少ない。持ち運びにも便利。北海道アイヌ民族の狩猟用の弓は、この洋弓に良く似ていると思う。洋弓の有効射程距離は30~40mと短いがこの範囲内では命中率は極めて高く、強力で一発で獲物をしとめることができる。要は狩猟に対する根本的考え、哲学の違いと言える。

 

 その昔、北海道アイヌは彼等の大地、アイヌモシリを狩猟のために縦横無尽に駆け巡ったことであろう。幾日も山野に起伏し、獲物を追いかけ、機会を待ったかも知れない。そしてやっとやって来たこのワンショット。テイク2はない。有効射程距離内に入るため、木の幹や樹木の葉陰に隠れ、じわりじわりとにじり寄る。足下の落ち葉に当たらぬよう細心の注意を払い、踏みしめる物音一つたてず、息を殺し自分の気配を消して、一歩一歩と。

 足場の悪さにもかかわらず、無駄一つない身のこなし。すごい! 「心技体の一致」そして、美しい。弓矢を構え、風の流れ、呼吸、間合いを見切り、緊張は高まり、このときの最高の一撃を祈る。

 

 レプリカと設計図を手にした時、その姿がはっきりと見えた。そして、タイムスリップしたのか、その場でその一瞬を逃すまいとカメラをかまえるボクの姿も。身体がぶるぶるっと震え、血がザワザワっとうごめく僕の野生を感じた。

 

 北アメリカ大陸の平原に住んでいた先住民も、このように狩猟をしていたのだろうか?

そういえば思い出すのは、、、、。

 

「あれっ、新聞配達の音だ。」

「やめた! ほんとうに、もう、寝よう、、、。」

 

 

terry-nakata

 

 

 

 

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