『 フワニータ 』

 

 

 

 今、フワニータが来広している。

約500年前、火の山の神を鎮めるためいけにえにされた少女。当時マチュピチュの遺跡など高度な都市文明を誇ったインカ帝国も、やはり火山活動を阻止することは出来なかった。創造主に対する願いは大きい程その代償を求められる。゛いけにえ″だと、時の王侯貴族は考えた。いつの世も犠牲になるのは庶民だ。

 フワニータは特別な地位の人しか許されない高貴な衣装をまとっており、その近くでフワニーヤに仕えていたと見られる三体の子供のミイラとともに発見された。ペルーの山岳地帯のアンデス人はいまでも、五、六歳になると、髪を切って成長を祝うという。はたしてフワニータも小袋に入れて大事に自分の髪を持っていた。短い自分の歴史の一コマを最後のひとときに確認していたのかも知れない。フワニータはおのれの宿命(さだめ)を知っていたのだろう。

 

 インカの人たちの生活に思いを馳せる。

火の山の神はいつまでも怒りを鎮めず、不良不作、飢饉も続く。インカの社会へはともかく、同じ村の人たち、愛する家族のために死のう、皆が幸福せになるのなら。そう自分に言い聞かせ、フワニータは従容として火の山に登ったであろう。

 考古学者の検分によればこめかみの死にいたる一撃は、ほとんど苦しみを与えぬ一瞬であったろうと言う。恐怖、不安、一方選ばれたものの自負心。そして、生前の遊び友だちだった三人の子供たちも、死後の世界で一緒に暮らせるようにと旅立った。残された家族には応分の補償もあったと聞く。かわいそう、残酷、野蛮、と言う言葉だけではくくりえないインカ人の生活の有り様が偲ばれる。

 

 DNA鑑定ではフワニータはアジア人だったことが判明している。一万年以上も前、インカの人たちはアラスカとシベリアの間、ベーリング海峡を越えてやってきたアジア人の子孫だと言う。以前、この地に先住するイヌイットの人たちと生活交流するフィールド・ワークに参加するため、ベーリング海峡を望むコツビューと言う町に滞在したことがある。ここを通過ってアジア人の血筋が流れていったのだと思うと、茫漠たる思いにかられたことがある。そしてこの海峡の向こうに日本があるのだなあと思ったものだ。

 

 その日本で今、大事件が起きている。東海村臨界事故だ。

科技庁が立入検査をしたことにより ”手間を省くため手作業指示” 等、管理者のずさんな安全管理と刑事責任が明かとなってきた。

 ウラン溶解作業の3人は未経験者。ウランは火の山の神が造り出した゛賜物”。してみると、この3人の作業者は、ずさんな安全管理を怒る火の山の神を鎮める ”いけにえ” だったとでもいうのだろうか。偶然、数も3人。

 

 今の私達の生活には原子力はなくてはならない。工業、産業、商業、生活のあらゆる分野に多大の恩恵を受けている。それを維持するために ”いけにえ” が必要だったとでも言うのだろうか。 もしそうなら、これほどおろかで、むごたらしいことはない。どうしてインカの人達を残酷、野蛮とさげすめようか。これだけのテクノロジーを手にしながら進化なき愚行を今もくり返している。JCOはもちろんのこと、大事故が発生するまで充分な監督指導していない担当省庁、行政機関に腹の底からイカリをおぼえる。当の3人の作業者をはじめ犠牲者の皆さんには申し訳ない気持ちがする。暖かい保護と充分な補償を願いたい。フワニータや3人の子供たちが遇されたように。

 

 それにしても何という巡り合わせ。この惨状を見てフワニータは、『もう私達だけでいいと、願っていたのに...。』 天を見上げ、嘆き悲しんでいるのかも知れない。

 

nakata

 

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