『 死を見つめる 』

 

 

 僕には、少年の頃から自分の一生に対して心に期することが二つあった。ひとつは、『波瀾万丈に生きること』 もうひとつは、『社会の規範から外れること』 

 そのことをまわりの大人に告げると、「その生きかたでは、人の何倍も苦労をすることになるし、人に誤解されるし、理解もされない」と、言われた。その意味の重さも知らないままに、自分はこう生きるしかないのだろうと思っていた。今、この年令になって、果たしてその通りに生きたのか? その通りに生きたと思えるところもあるし、まだ不充分だとも思えるし、失ってしまったものも数多くある。けっして自分の生きかたに悔いはない。が、このあと、その最後の仕上げをどうするのか。今、僕はそんなことを考えている。

 

 まだ少年の域を脱し切れていないころ、一冊の本に出会った。アルフォンソ・ディーケン氏の『死の哲学』。氏は上智大学文学部哲学科の教授であり、”死を見つめる” という講義を長年にわたって努めておられる。一時よくテレビ放送の番組にも出演して講演をされていた。

 ディーケン先生は言う、

 

 「あなた方の中には、大学入試で合格を勝ち取るために 受験勉強をしたでしょう。それとおなじようにあなた自身の死を勝ち取るために勉強を始めなければなりません。死は忌み嫌うことではありません。死は誰にでも訪れる人生の大切な儀式のひとつです。死を見つめると言うことは死を準備することであり、生を十二分に生き切るということです」

 

 死をこのように定義し、このような観点から死を見つめるディーケン先生のお話は、おどろきであり新鮮であり快感でもあった。この考え方は僕の心の中で長い時間をかけて醸造されていった。

 

 北海道富良野の原野に東大演習林がある。原始の森が人間の手を加えられないままに保存されている。”どろ亀先生” とあだ名される名物教授がおいでになる。写真取材が終わった後、すこし演習林を散策させてもらった。と、あいにくのしぐれ雨。傘にあたる雨音、太古の森の芳醇な香り、身体の中まで澄みきっていく心地がした。

 ふと見れば、樹齢何百年と思える巨木の朽ち果てた姿。その上で吹き出したばかりの新しい木の芽が雨にうたれている。あましずくに打たれても打たれてもピーンと弾き返している。指しもの栄華を誇った巨木も命尽きてたおれる。おかげで広い空間が出来て太陽の光が差し込む。新しい生命がうまれる。新芽は朽ちた木を栄養源にしてすくすく育つ。何億年とくり返される世代交代。もの皆このようにして在る。尽きぬ感慨に心が熱くふるえた。

 

 各分野のテクノロジーが発達を遂げ、天文学の分野では「すばる望遠鏡」が開発され、今まで手の届かなかった宇宙の彼方までや他の銀河や星団星雲も鮮明に観察できることとなった。子供の頃に馴染んでいた数々の星座たちも、数万年後には今のかたちではなくなるそうな。すこしさみしい気持ちもするが、宇宙は瞬時もとどまることなく動いているということか。なかでも華々しいのは超新星。銀河や星団の生命が尽きた瞬間。僕は子供のときから星は永遠に在るもの、星が死ぬなんて思いもしなかった。大爆発の後、ガスや塵となって宇宙にただよい、またあたらしい星の基になるそうな。夜空の星たちのキラキラする輝きを見上げれば、いっそう愛おしさがつのってくる。

 

 北アメリカ先住民をうたった詩がある。『 Today is very good day to die 』

おおよその内容は、

 

      「 今日は死ぬのにはとても良い日だ

        天気も晴れて、きもちいい

        収穫も充分あるし、馬も肥えている

        孫たちは元気に育っているし

        家族に病気のものもいない

        仲間の笑い声は聞こえるし

        今日は死ぬのにはとても良い日だ 」 

 

 北海道アイヌ民族のウウェペケレ(昔はなし)にこのようなお話がある。

 

       ゛あるときエカシ(長老)が息子に言いました。

        今日はとても気分がいいから、みんなを集めておくれ。

        家族、親戚、コタン(村)の主だった人があつまり、

        ささやかな宴がはじまった。

        おじいさんの若い頃の武勇談、思い出話に花が咲き

         楽しいひと夜を過ごした。

        明くる朝、おじいさんはねむったまま微笑みをうかべ、

        逝っていました。″

 

 遠く大平洋を隔てた地で、おなじような物語があることに驚かされる。人は大きくても小さくても自分の努めをまっとうしたものには、やすらかにあの世に迎え取っていただけると言うことだろうか。

 

 僕の友人のピアノ教師は、ベートーヴェンこそ旧来の音楽を打破し標題音楽を確立させた革命家だと絶賛し、モーツァルトを古い教会音楽や宮廷音楽の要素を巧みに取り入れただけの真似し音楽家だとケチョンケチョンに言う。

 ピアノ協奏曲20番K466、ピアノ協奏曲24番K491、交響曲40番K550、歌劇フィガロの結婚、歌劇ドン・ジョバンニ、やはり僕にはモーツァルトは当時の時代をジャーナリステックに見抜く眼、人間への洞察力をもち、またそれらの一切の付属物をとりのぞいた最小限の純要素を、音楽で 最大限に表現しえた希有の大天才だと思う。わけても、絶筆で死の床で書き綴ったという、「レクィエムK626」には魂を揺さぶられる。

 死は忌避でなく、ただの追悼ではない、哀惜でもない、感傷でもない、惜別ですらない。死は生の最高の到達点であり、天上界に迎えられ荘厳な門を過ぎ抜ける一瞬だと理解させられる。ゆるぎない旋律はモーツァルトの確信に満ちた意志力を表現している。死の床にあって、なおかつこの気迫。圧倒される。

 

 天台宗総本山、比叡山延暦寺の奥の院の根本中堂にかかげられているろうそくの燈明は、千年このかた消えたことがないという。ろうそく一本の寿命はたかだか一時間だろうか? 二時間だろうか? しかしこの世の無明を照らす炎そのものは、千年の命につながるという。はたして千年の命につながるというろうそく一本の生涯とはどのようなものであろうか。

 

 円空仏の円空上人は、長い流浪のはて、生きながらにして棺桶に入り即身成仏をとげられたと聞く。いままさに死を迎えようとするその瞬間、我が身が宇宙のひとつとなる快感をどのように感じられたのであろうか?それはいったいどのような境地であったろうか?

 

 曹洞宗の開祖 道元は、「生死を明らかにするは仏家の一大事」といわれたそうな。そして

 

      「生死は仏のことなれば生死にあらず」

 

とおっしゃったそうな。ここでいう ” 仏 ” とは宇宙の真理、宇宙の本源、というような意味なのだろうか。思んばかるに、生死はろうそくの炎ように実体のないものゆえ、ろうそくの一本に固執するな。ということほどの意味だろうか。

 

 真言密教の祖、弘法大師空海は、数多くある著作のうち、「 秘蔵宝鑰 」で、

 

      「 生まれ生まれ生まれ生まれ、生のはじめに暗く

        死んで死んで死んで死んで、死のおわりに仄し 」

 

といわれた。真蜜の奥義に触れた遍照金剛の境地から発した芸術的表現。今日にいる僕達にはどのように理解すればよいのだろう。

 無辜(むこ)の民がいくたびか生に生を重ね、死に死をつなぎあわせてもなお見極めえぬ真理と実相。しかし空海はそれを決して嘆いてはおられないのだと思う。” 暗く” と” 仄し(くらし)”。 仄(ほの)暗い この ” 仄し(くらし) ” の文字(もんじ)で表現しようとされたのは、人間の飽くなき探究により、やがて真理に到達することを示唆しておられるのだろうと思う。人間の可能性を説いておられると思う。

 

 仏教経典、『大般涅槃経』には釈迦が入滅する前後のことが書かれている。先程お亡くなりになられた中村 元氏上梓の「仏陀 最後の旅」(岩波新書)に詳しく解説されている。

 齢八十歳にして病気になり自分の死の近いことを知った釈迦は、マーラ(悪魔)から永遠の命を乞うようにと誘われる。おもえば修行完成者ー仏陀となって幾年月。ほとんどが漂泊の生涯。幾多の人々に仏の教えを説いてきたことであろう。

 

 生、病、老、死。人は望んで生れてきたのではない。気が付けば生れていたのであり、これは苦である。身体を持てば病気もする、これも苦である。成長すればやがて老いる、これも苦である。そして好むと好まぬとにかかわらずかならず死ぬ、これも苦である。これを四苦という。

 愛別離苦、愛する人とやがて別れなければならぬ苦しみ。怨憎会苦、憎い人とも出会ってしまう苦しみ。求不得苦、求めても得られぬものを求めてしまう苦しみ。五蘊盛苦、この世は苦しみにあふれている苦しみ。この四苦と合わせて四苦八苦といい、または苦諦ともいい四聖諦ー苦、集、滅、道ーのひとつである。道諦は八正道ともいい聖者の境地にいたる修行法である。

 これらの仏の道の教えが人々の暮らしに、人の心にどれほど理解され役にたったのであろう。釈迦は自分の歩んできた道を茫漠たる思いを込めて振り返ったかもしれぬ。そしてすぐに、まだあるこれからの道を考えたであろう。マーラからの誘惑を退け、重い足をあげて、教えの道を全うすべく、最後の旅へと向かった。

 

 その旅の途中、ヴェーサーリーの町による。 今まで数えきれぬほど足を運び、教えを説き、力を尽くしてきた町だ。釈迦は見る。

 

「ヴェーサーリーの町のたたずまいはきれいだ。町外れにある庭や 林はきれいだ」 

 

 このときの ” きれいだ ” はいとおしいということだろうか。やがて、町を去るときに、小高い丘から釈迦はヴェーサーリーの町を振り返る。時はまだ焼けきらぬ朝ぼらけであったように思える。朝の食事のための、たき火の煙がたなびいていたのではあるまいか。釈迦は微笑みを浮かべ眼を細めて見つめる。

 

「 きれいな風景だ、ヴェーサーリーを見るのはこれが最後となろう 」

 

と、つぶやいた。後年の保守的仏教者は、「およそ修行完成者がこの世に名残りをのこすとは」としてこの部分を経典から削除したらしい。サンスクリット語経典では唯一、人間釈迦のいきいきとした姿を書き記すところとして今日に伝えている。

 

 釈迦はけっしてヴェーサーリーの町並みだけを見つめていたのではあるまい。人々の暮らしを見つめていたであろう。人の行く末をながめていたであろう。なおも人間は惑い苦しむことになろう。おのれの ”我″ や ”欲” に執着し無明の闇にさまようことになろう。釈迦は再度、つぶやいたのではあるまいか、慈悲にあふれる万感の思いを込めて、

 

「皆、怠ることなく、修行をせよ」

 

と。そして弟子のアーナンダとともに最後の気力をふりしぼり、死出の旅にむかうのである。

 

 僕はまだ少年の域を脱し切れていないころ大病を患った。発見と手術が遅ければあわやという病いだった。退院時、主治医からは再発の可能性はまだ残っていることを告げられた。両親も親戚も「この子は長生きできまい」と思った。僕自身もそのとき何となく二十一世紀までは生きられぬだろうと感じた。それが今、2000年を目の前にしている。不思議な気がする。

 

 老後など考えも及ばなかった。今の今、生きてあることを十二分に楽しむことをこころがけてきた。そして自分の生を十二分に意義あるものにすること、自分の生きた証をひとつでもたくさん残すことに努めてきた。今、この年令になって、果たしてその通りに生きたのか? その通りに生きたと思えるところもあるし、まだ不充分だとも思えるし、失ってしまったものも数多くある。が、けっして自分の生きかたに悔いはない。今の僕に老境というものがあるのかと面映い気もするが、巌然として気力体力の衰えは認めざるを得ない。そろそろ、その最後の仕上げ時なのだろう。準備を始めねばならない。自分の魂がよく知っている自分の成さねばならぬことを成していかねばならぬ、後悔しないために。

 

 明るく健康的な゛死″を迎えるために。

 

 

nakata

 

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