この小論はおよそ10年程前、主に健康問題を論評する某新聞の依頼をうけ、鍼灸治療特集に掲載した記事を一部手直したものです。直、著作権は筆者に帰属しており今回の使用に問題はありません。

 

 

           『 鍼は人間の何を治しうるか?』(1)

 

 

 今、鍼が流行している。鍼灸治療が現代医学の中に確かな足音を轟かせ始めている。長年病院通いを続けてきた患者さんたちが、さらなる回復の確かな手ごたえを求めて鍼灸院の門を叩き始めている。

 今、何故、鍼なのか? 鍼は人間の何を治しうるか?二千数百年余に渡り、アジアの人々に無数の治療の実績を持つ東洋医学も、近代においてなお西洋医学から科学的に説明のつかない理論、伝統的、慣習的治療方法だとの低きに置かれている。たとえば経絡、経穴(ツボ)等、鍼灸治療の根幹をなすものに対しても、説明のつかないものと看過されている。はたして東洋医学は゛科学″的に説明のつかないものだろうか?併せて鍼灸術の基礎的、臨床的検証を、我が編集部において独断と偏見に基づく推論と考察を重ねてみようと思う。

 

                 痛みを治す

 

 人間のからだの中を弱い電気が通っている。″ 一般的に電気に弱いとされている御婦人方はびっくりされるかも知れない。゛弱い電気″と゛電気に弱い″では、文字は似ても意味は全然ちがう。脳波や心電図、筋電図という言葉を聞いた人は多いに違いない。これは大脳や心臓、筋肉に流れている静電気を測定し、電流の流れからその症状を診断する方法である。

 これと同じように生体の皮膚の表面とその裏側との間には約50ミリボルトの電圧差があり、導線で繋ぐと電流が測定される。皮膚の電気抵抗を測定する皮電計で計ると、電位の大きさは同一生体の場所によっても異なる。金属で先端の尖ったハリ状のものを皮下まで刺入すると、皮下の表層と深層が電気的に短絡し、局所に電位の変化を生じる。この局所を鍼灸術では経穴(ツボ)といい、電流が流れやすい細胞膜と細胞膜のつながりを経絡という。

 日本東洋医学会の間中喜雄博士は、自身で工夫された゛ダイオード法″なる方法で、この原理を活用して生体に刺激を与えることにより、種々の治療した数多くの症例を持っておられる。皮電計という西洋医学流の゛科学″をもって実証されたものではあるが、まだ西洋医学側からの認知の動きはない。

 

 ところで今から約150~200億年前のことである。突然、話が跳ぶ。了承願いたい。

 

 超高温、超過密の巨大なエネルギーの塊が大爆発(ビッグバン)を起こした。大宇宙の誕生である。核融合反応がくり返され、水素、ヘリウム等からなる無数の恒星が生れた。そして銀河系宇宙の誕生は約50億年前であり、順次太陽系もでき、原始地球の誕生は約45億年前だとされている。

 このころの原始地球は宇宙ガス ー水素、チッソ、二酸化炭素、メタン、アンモニア、塩化水素、水蒸気ー 等の還元的気体がとりまいていた。地殻はなお流動的であったが、地表の冷却と共に大豪雨が起き、海と陸はしだいに形を表し、海水はこれらの無機物が飽和状態に溶解された、高単価の栄養素がいっぱいにつまったスープのような状態であった。それは無機物が有機化合物に化学変化する条件が整っていたことになり、太陽からの紫外線、火山熱、隕石落下による衝撃波、放射性物質が破壊され高エネルギーの素粒子が注入されるなどの外的要因も加わり、無機物が自然合成されてアミノ酸を生み、さらに長い時間の経過ののち、原始細胞であるコアセルベートが誕生した。

 しかしこれら外的要因だけではコアセルベート(核を持たない細胞)を産み出すことは出来ない。気圧差、温度差の著しく異なった宇宙ガスの急激な変動によって起きる電磁波(カミナリ等)や、火山の爆発時に発散される高圧電気エネルギーなどの、大宇宙の進化から必然的に加えられた外的要因なしに生命の誕生はありえなかった。電気が原始細胞を生み活性化させる最大のエネルギーとなる決定的な役割を果たしたのである。

 1947年オーストラリアで約35億年前の地層から、ラン藻という原始的な単細胞を含む化石が発見された。現在知られている最古のものであるが、地球誕生から生命の誕生まで約15億年という気の遠くなるような膨大な時間を費やしたことを物語っている。

 

 

                 生活を糺す

 

 単細胞がさらに複雑に進化する過程の中で、核酸が生成されたことにより遺伝子を持つことになる。植物と動物がわかれ、やがて海中から陸にあがった両生類は爬虫類を生み、さらに数億年ののち哺乳類が誕生し、そしてヒトが類人猿からわかれて直立原人として地球上に出現したのは、約300~100万年前である。

 現代の人間を構成している細胞の数は60兆個といわれている。そのたった一個の細胞さえもビッグバンから200億年、地球誕生から数えても45億年、営々と築き上げられてきた宇宙の創造と進化の成果であることを想像するとき、自らの生命の何と貴重で華々しい輝きに満ちあふれていることか。

 今もなお進化しつづけている大宇宙のエネルギーと、我々の身体を構成している小宇宙である小さな細胞が息づくそれとは同一のものであることを思うとき、自らの生命の何と偉大で清らかなものか、体感せずにおれないであろう。

 夜空に輝く星達のまたたきはどうであろう。太陽の光をうけ風と遊ぶ草花の緑葉はどうだ。大地を掘る小さな虫たちの営みをどう見る。その美しさ、見事さばかりはとうてい筆舌に語りつくしえない、宇宙の本源的エネルギーをあらわす曼陀羅そのものではないか。その力で人間は生かされている。何と誇らしいことか。

 

                人間性を回復する

 

 しかし今、現実の身の回りを見渡せば自然が破壊され、宇宙がけがされ、人間生存のための環境そのものが侵されつづけている。20世紀に入りその侵略は加速度的に進行している。コンクリートに固められた生活環強、物質的なもののみ優先先行させる現代の風潮は、人間精神の内部奥深いところまで腐触させている。それが慢性病、精神不安、うつ病、ストレスとなってあらわれ、現代人をいかにむしばんでいるか。ここにメスをいれ、解決法を探るのは次回に譲りたい。乞う御期待。

 

 

            『 鍼は人間の何を治しうるか?』(2)

 

 

 「あなたは、いったい何者ですか?」「どんな人間ですか?」

 「どんな場所にいて、どこへ行きますか?」

そんな質問をうけたとき、あなたならどう答えるだろうか?たとえ顔見知りの人からの問いかけであっても、聞かれた人は聞いた人の顔をマジマジと見張り、やがて怪訝な顔をして、「そんなこと、突然言われても...」と質問に取り合わないか、笑ってゴマかすかもしれない。

そして気まずい空気...。

 

 「人間とはなにか」 いったいにこの現代はモノの見えにくい時代なのかも知れない。いや、見ようとしていないのか、それとも見えないようにされているのか。いったいにこの現代は心と心を通い合わせにくい時代なのか、希薄になっているのか。必要ないのか、逆に必死に求めているのか。

 時代はあまりにも便利なもの、安易な方向に流されている。功利性、利潤追求が第一義的となり、あらゆるものが対金銭との基準においてのみ価値判断される。自然から人間の精神まで商品化される。日々の煩雑な忙しさに自分を見つめ直す時間の余裕もなく、個人の人格個性など、時代の流れは容赦なく丸のみにして押しながしていく。

 流されていることに気付かないのか、もう流れに身を委ねてしまったか。そしてその人の生涯を貫く偉大なる思想はその場かぎりの刹那主義、無力感、どうせこの世はそんなものと言う厭世感。流れに逆らわないほうが得という功利主義。心は病み、ストレスは高まり、精神は不安、人間関係はバラバラ、原因のはっきりしない自立神経失調症、難病に苦しむ。

 もう難しいことなど考えたくもない、現実逃避、一時的快楽、セックス、ポルノ、ギャンブル、覚醒剤。人間精神の奥深くまでジワリジワリ浸透していく。そしてそれはDNAを通して子供や孫の次世代に確実に伝播していく。

 はたして人間とはたったそれだけのものなのか?それでよいのか?

 

 

                魂に鍼を入れる

 

 われわれ人間の生命はこの大宇宙の本源的なエネルギーに繋がっている。大宇宙が発展進化しつづけているように、この人間の身体や精神までもが進化成長しつづけているのだ。そして大宇宙大自然に復元力があるように人間も復元力を持っている。人間には人として何が正しいか、何が正しくないのか、判断できる能力をみんな等しく有している。して良いこと悪いことは本当は良く知っているのだ。バカでアホウでスケベで意気地がなくて見栄張りで、どこかに何かウマイ話は転がってないかと、ウの目タカの目でうごめき、まどい苦しむどうしょうもない人間ども、否、人間にはもっと心の中の闇を見つめる眼、分っていながらも悪に魅せられる、そんな心も持っているのかもしれない。その同じ人間どもが善を求め、光明を求め、安寧を求めている。

 

 楽な道などないのだ。逃げの道はないのだ。人間は悩み苦しんだ分だけ必ず報われる。「人間とはなにか」「自分とはどんな人間で、何ができるのか」自らの本分を尽くしただけ必ず望みがかなえられる。人間はこれでなかなか捨てたものではないのだ。勇気を持たねばならぬ。負けてはいけないのだ。その勇気を、自力の力をどうすれば持てるのか? 時代の流れに負けない、病気にも負けないエネルギーをどうすればこの身に宿すことができるか? その具体策は、読者諸君、次回最終回を待たねばならない。再度乞御期待!

 

 

          『 鍼は人間の何を治しうるか? 』(3)

 

 

 先程、NHK総合テレビで放映された「特集~大雪・花紀行」が静かな反響を呼んでいると言う。花も昆虫たちも次世代に生命を伝えるため、あらゆる知恵を働かせて懸命に生きる姿に、健気だともまた神秘的だとも思え、感動を呼んだものものだった。

 特にコマクサとウスバキチョウが、植物と昆虫と言う範疇をこえて、生きとし生けるものが互いに助け合って生きる様は荘厳とさえ思え、エゾルリイトトンボのメスが水中の小さな茎に卵を産みつけるために、命ぎりぎりまで深く潜っていく気迫の母性には圧倒され、役割をおえて力つき水面でぐったりしているメスを、小茎につかまりながらオスが、抱き寄せるようにして足を差し出してやるたおやかな情愛に、心を締め付けられるような深い感動にみまわれた視聴者は決して少なくないように思われる。

 

 ことほどさようにこの大自然は、いつもたくさんのことを人間に教えてくれる。巨視的にも微視的にもよく自然を観察していると、生命と生命はどのようにして繋がり支え、いや支えあってでなければ生きてゆけないものか。そのため植物から昆虫にいたるあらゆる生物が、いかにきめ細かい交流を重ねつつ共存しているか。喰うか喰われるか厳しい一面も見せつつ、妙に甘えるでもなく妙に悲しむでもなく自らの役割をよく熟知していて、あるがままに淡々としてやって退ける。花や昆虫たちのほうがよほど大人だ。本当に自然は生き物として大切なことー哲理ーを教えてくれる。かえりみて、

 果たして人間社会はどうであろうか? もしエゾルリイトトンボのメスとオスのつがいに、恥ずかしさを覚える ゛つがい″のオンナとオトコがいれば、それは悲しいことにちがいない。そのために離婚率は年々高まり、不倫などと騒がしくなり、家庭内暴力、幼児虐待、幼年層まで非行化がすすみ、校内暴力、イジメが横行しているのだから。

 

 さてここで読者諸君に思い返していただかねばならないことがある。わが編集部は先の「鍼は人間の何を治しうるか?(1)」において、原始地球の誕生後どのようにしてコアセルベート(原始細胞)を誕生させたか、これがまさしく生命の起源であったことを説き明かした。このように一見、なにも産み出させそうにない無味乾燥の無機化合物どうしも、気の遠くなるような年月を重ねて、ふれあい確かめあい結び付き合う検証を経て、はじめて生命を造り出したのだ。このように自然の子、宇宙の申し子であるわれわれ人間は、その生命の成り立ちからして、ふれあい、肩よせ合い、誕生し、成長してきた。宇宙進化の必然である。われわれはこのことにもっと注視しなければならない。

 

 

                 回復のとき

 

 人が人として当たり前にそなわっている優しさと思いやりの心で、どれほど深くどれほど広くどれほどの人たちと関わって生きるか。辛くもあるし煩わしさも多いが、その中でしか人は生きて行けない、成長もできない、結局のところ救われもしない。そのやさしさも強さに裏打ちされたものでなければ、まわりの人も自分自身も変えることは出来ない。

 

 人はまず己が救われたいと思う。しかし救われたいと思うあいだは決して救われず、救うことにより救われる。あなたをとりまく世界はあなたの心を写し出す鏡。あなたの心のありようで苦しみも光明に写り、いくえにも変化(へんげ)する。「悟り」とは聖者や覚者、大偉人だけが知りうる絶対的境地ではない。当たり前のこと、至極簡単且つ明瞭なこと。われわれ凡人が、いや凡夫であるがゆえにまた知りうる世界なのである。自分を信じ、未来を信じるしかないのだ。

 

 さて、限りある紙面もいよいよ最後となった。三回にわたって、今の世にともに抜きさしならない自分自身にのたうちまわる思いで生きあぐねているもの同士、この稿におつき合いいただき、読者諸君に心よりお礼を述べて筆をおく。

嗚呼、感謝々々。

 

nakata

 

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