『 雨がふります 』

 

 

 

           『 雨がふります 雨がふる

             遊びに行きたし 傘はなし

             紅緒の下駄(かっこ)も 緒が切れた 』

 

 

 

ああ、、、 今日も雨だ。もう、梅雨に入ってしまったようだ。

ひさしを打つ雨の音。部屋で寝っころがりながら足早に通り過ぎる雲を窓越しにに見ていたら、こんな童謡(うた)を思い出して口ずさんでいた。

 

 もう何年前だろう、ネパールのカトマンズで、このおなじ童謡をおなじように雨を眺めながら口ずさんだのは、、、、、。

 

 僕は、札幌のある福祉団体からの依頼で、『ネパールの障害者とその社会状況』についての写真取材のため、カトマンズに長期滞在していた。福祉団体からの依頼といっても、往復の航空運賃だけ支給されて取材費滞在費は自分もち。撮影した写真の著作権は僕に帰属するが、一次使用や発表方法はその福祉団体との協議に拠るという、もうほとんどボランティア活動のようなものだった。

 

 ”なぜ、ネパールへ?” と聞かれても、話は長くなるしメンドウだ。言えるのは、『ネパールの障害者とその社会状況』という取材意図は極めてあいまいにもかかわらず、僕を受け入れてくれる明らかな支援団体、組織、個人などぜんぜん、ないっ。

事前のコンタクトはいっさい、ないっ。

知り合いも誰も当然、いないっ。

ただ、福祉団体のメンバーの一人が、現地派遣されている青年海外協力隊ネパール隊のなかに、おなじ苫小牧出身の知人の息子がいるから、”行ってみたら~~ ”というだけだった。

 

 その知人の息子という青年に会った。取材意図を説明するとたちまち暗い顔をして、「あぶない!危険だ!」と、ひとこと。その青年Iさんの言うには、ここ最近になってネパールは国連にも加盟して各国との国交を開くようになったが、それは発展途上国として海外援助が受けられるのが目的。

 第2次世界大戦以前は鎖国状態だったし、正式国名がネパール王国のとおり、絶対君主制をいまでも色濃くのこしている。カースト制度も厳然として残存している。マハーラジャーにとって好ましくない海外の新しい情報は国内に入ってほしくないし、都合の悪いは情報は海外に出てほしくない。だから、国王の秘密警察が常に海外からの観光客を監視している。逮捕、国外追放、最悪のケース、あやしいツーリストがいれば闇から闇にほうむるという噂だ。だから、今回のこの取材目的は「あぶない」というのだ。海外青年協力隊も日本とネパールの友好に問題を起こしてはいけないので、この手の協力はいっさいしないという。僕は目の前が真っ暗になり、暗たんたる気持ちになってきた。

Iさんは言う、

 

「止めて日本に帰ったほうが、いいですよ。札幌のその福祉団体の人たちはネパールの状況を知らな  さ過ぎます。今ならまだ間に合う。一週間ほど観光旅行をして日本に帰ったほうが、安全ですよ」

 

 彼の言う通り、まっすぐここから日本に帰ることはできた。でも、そうしなかった。若かったんだなぁ。なんとかなるだろう! 今さらおめおめと日本に帰れるかっ!

 

 でもIさんは、Iさん個人としてなら日本から来た友人にホームステイをさせてあげることは出来るので、空いている部屋を自由に使って下さいと言ってくれた。 「でも、行動には充分に注意をして下さいよ」

 

 そして、トリブバーン大学に通うある学生をひとり紹介してくれた。彼はネパール社会の現状をなんとか改革することに情熱を燃やしているネワール人で、信頼できる青年だという。僕は一目その青年の黒いひとみを見て好きになった。その青年は、オム・クリシュナー・テミルシナといった。ファミリーネームが僕の名前によく似ていた。

 

 僕はオムをアシスタントにして、観光客を装い、カトマンズの街なかのすみずみ、近郊の農村、山あいの村々、いろんなところを見てまわった。日本人を見るのも、カメラを見るのも初めてという人たちに生活状況を聞いてまわった。

 僕はネパールの言語を知らない。もちろんオムは日本語を知らない。僕が知りたいことをオムに英語で聞き、オムがそれを公用語のネワール語で農民にインタヴューし、内容を僕に教えてくれる。そんな二人三脚の取材がはじまった。回数を重ねるにしたがいこのコンビネーションは息の合ったものになっていった。

 

 もしものことを考えて、ダミーの撮影済みのフィルムを持ち歩いていた。実際に撮影したほんもののフィルムは別の場所に保管していた。

 

 できるかぎり生水は飲まなかったのに、とうとう、下痢を起こしてしまった。さいわい伝染性のアメーバ赤痢ではなかったが、もうその頃には、ストレスも、体力も、気力も限界に来ていた。

 

 すでに雨期に入っていて、スコールが毎日、ひどいときには一日に数回、やってくる。オムが今日もお見舞いに来てくれた。ここ数日、パニ・ホリデー(雨休み)にして取材は休止していた。オムと今後の取材予定を相談し、彼が準備に奔走し、結果を知らせにやって来てくれていた。ヴィザの期限が迫って来て、手持ちの時間も少なくなって来ている。下痢は続くし体力は回復しない。必死で歩き回っているときはさほど感じないが、一旦立ち止まると、じわじわと権力の重圧を感じる。

 

 ふと、窓越しに外を見れば、雨かすみにぼやけた夕暮れのカトマンズの街並は、とてもきれいだった。思わず口をついで出たのが、この童謡(うた)だった。詩(うた)のなかの少女の心情と自分の姿がだぶった。しみじみと心に響いた。聞いていたオムが、どのような内容の歌詞(うた)か? と尋ねた。僕は歌詞を直訳するのではなく、少女の心情をどう伝えればよいのかと、悪戦苦闘していた。そして、最後にはオムといっしょにこの童謡(うた)を歌っていた。

 

  よしっ!、くよくよ考えてもはじまらない。 明日から、がんばろう!

 

terry@その後、無事に帰還して、『カトマンズ・リポート』という作品にまとめ、

    写真展を開催し、自費出版ながら写真集を刊行することが出来た。

    感謝!

 

 

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