海鳴りのどよめきをおしひろげて歩く ー第2部ー

ー老後保障確立国民大行進写真記録集ー

六郷大橋を渡る、いよいよ東京入り

 

 

9月13日(水) 川崎→港区役所

 

 小雨が降り続く中を六郷大橋へ。いよいよ東京入り。

 

 六郷大橋で神奈川から東京へ行進が引き継がれて、品川から港区役所へ。

 

 83歳の中村栄之助さんもしっかりと歩いていた。

 

                                (枠の写真はクリックで大画面に)

 

 

               神奈川県の団体の皆さん、ご苦労様でした。

 

               ここからは、東京が引き受けます。

 

 

いざ行かん、厚生省へ

 

 

9月14日(木) 港区役所→厚生省庁舎→総理大臣官邸→日本橋

 

 沿道のみなさんから寄せられた老後保障確立の願いを束ねて、まず厚生省へ。

 

 中央合同庁舎前で全国の仲間300人の集会の後、厚生省社会局長に老人医療有料化阻止などの申し入れをして、記者会見。

 

 午後からは国会に赴き、総理大臣官邸では全国からの署名を秘書官に手渡して申し入れ。秘書官から必ず総理大臣に伝えることを言明させて確約をとる。

 

 夕方、最終の自治体である東京都庁を訪問。田坂副知事と面会し、老後保障確立国民大行進の賛同と署名をいただき、激励金をもらう。

 

 

 

 

                 霞ヶ関の官庁街を行く行進団。

 

               老後保障確立国民大行進の旗がなびく。

 

 

 

   右から森田久夫さん(都老協)、高橋悦郎最終副団長、本田公男初代副団長(ともに全日自労)。

 

 大行進は、老後保障確立の大宣伝隊であり、種まき機であり、組織者でありました。

 

そして、大行進は、この老人の願いをもとに結集する、老人、若者、婦人の感動すべき人間連帯のドラマでありました。

 

                                森田久夫(東京都老後保障推進協会)

 

 

註:京都からのほとんどの行程を、つねに行進団の先頭に立ち、「老後保障確立国民大行進」の旗をかかげて

  歩きとおした。

 

 

                  行進団が厚生省前に到着。

 

 

               星団長が集会に参加している300人の前で、

 

             要請事項の確認と、申し入れ成功の決意表明をする。

 

 

                 会見の行き方を見守る参加者たち。

 

 

                   不安と期待を込めて。

 

 

  老人医療の有料化をしないでください。

 

  老人を大切にする医療体制をつくってください。

 

  生活ができる年金を確立してください。

 

  働く意欲のある老人にも仕事と賃金を保障してください。

 

  老人ホームや老人ヘルパーなどの福祉内容を拡充してください。

 

 

  厚生省社会局長にねばりづよく交渉をする吉田秀夫実行委員代表と星団長たち。

 

                  副団長の高橋悦郎さんは、

 

          行進の道中に肌で感じた老人たちの福祉への願いを知ってほしいと、

 

                社会局長に思いのたけをぶつけた。

 

 

             老後保障推進のために

 

 

                          吉 田 秀 夫 (法政大学教授)

                                  全国老後保障地域団体連合会会長

                                  国民大行進実行委員会代表

 

 

 いまわが国は、まっしぐらに高齢化社会に進んでいます。人口の老齢化の速度は、欧米諸国の2~3倍といわれる速さで進行し、あと20余年で60歳以上の人口は全人口の2割、30余年後の21世紀には2割5分(4人に1人)という世界史にない「老人の島」に突入するといわれています。

 

 こうした高齢化社会は、我が国の経済、社会、文化一般に、測り知れない影響をもたらすであろうことはいうまでもありません。

 このことを覚悟し、いまから老後保障のための政治を国のレベルで、地方自治体のレベルで勇気を持って実行しておかなければなりません。それこそ ” 明日では遅すぎる ” ことになりかねません。

 

 明治・大正生まれの高齢者は、戦前の困苦に堪え、敗戦直後の困窮をのりきり、今日の日本の発展の基礎を築いてきた人たちです。この人たちのために、いま健康で豊かな老後を保障する施策を充実することは、国の責任であるといっても過言ではありません。

 さらにこれからの日本を荷負う若い世代にも寄与することで、わたしたちの仲間が、もろもろの運動を通して「子どもや孫のために」と身体を張ってきたゆえんでもあります。

 

 わが国の高齢者が、老人パワーといわれる力をもち、社会的に市民権をもつようになったのは、70年代の初めでした。東京都に民主的で行動的な老後保障推進協議会(都老協)が結成されたのは72年6月。これに準ずる組織が、神奈川・埼玉・関東各地にひろがり、77年9月には近畿・福岡などの参加を得て全国老後保障地域団体連合会会(老地連)を結成するに至りました。

 

 こうした運動の推進力になったのは、「このままでは老人の幸せはおしつぶされる」と自覚した老人たちと、全日自労や民主団体、特に民医連、婦人団体、全生連などの援助によるものです。老後保障のための願いと行動を表象したものが、今回の国民大行進でした。

 

 連日30度を超える炎熱の夏。32日間の東海道の行進。これらは過酷なものでしたが、沿道の住民・団体の温かい支援で胸を張って歩き続けました。本書はその見事な写真によるルポルタージュであり、老舗保障確立運動の歴史的な一コマです。

 

 本書は、これからの老後保障確立の運動を勇気づけ、幅の広い取り組みの素材になれば幸いです。

 

 

             引き続き、総理大臣官邸に向かう行進団の一行。

 

 

         国民大行進に全国から寄せられた総理大臣への要請署名数は約3万名。

 

         いかに老後保障の確立が急務であるかを、訴えた。

 

 

          秘書官はこの署名とともに必ず総理大臣に伝えることを確約した。

 

 

 

 

        総理府への直訴をおえて、がっちりと握手をする星団長と上坪事務局長。

 

 

 

 

 

次の訪問先の東京都庁をおとづれ、田坂副知事と面談する。

 

そして、行進途中に訪問した各地方自治体の老人福祉対策や、

 

行政担当者の施策のすすめ方や対応について

 

率直な感想と意見を報告した。

 

 

 

 

                 この日の日程も終わり、

 

          せっかく旧東海道を歩いたのだからと、日本橋に向かう。

 

               京の三条大橋を出発して31日目。

 

                花のお江戸は日本橋に到着。

 

                   バンザーイっ!

 

 

9・15全国高齢者集会へ

 

 

9月15日(金) 厚生省前→東京都体育館(千駄ヶ谷)

 

 会場の東京都体育館に向けて行進する。ほんとうにこれで行進は終わるのだと、一歩一歩たしかめて歩く。全国から集まった行進団の総勢は約300人。京都で歩いた人、愛知の仲間、静岡や神奈川で参加した人たちともいっしょに歩く。

 

 会場前で総評や各団体のみなさんが拍手で大歓迎してくれている。

 

 一万人の全国高齢者集会の参加者に、星団長が行進の意義と成果を報告し、支援のお礼を述べると、会場内に大きな声援と拍手と共感が湧きおこった。

 

 取材する各新聞社やテレビの報道陣の中には、フランスの新聞社「ル・モンド紙」もあった。

 

 集会後、さらにこの行進の成果を発展させようと、解団式が行われ、行進を歩いた人も、行進を支えるため資金集めに奮闘した人も一堂に会して、いっそう運動を前進させようと誓い合った。

 

 

 

    32日間、600キロを歩き抜いて、9・15全国高齢者集会に到着、(東京都体育館、千駄ヶ谷)

 

 

                  出迎えの総評幹事とがっちり握手。

 

 

            大歓声と拍手の中、高齢者集会場に入場する行進団。

 

 

          中央の壇上で、小鳩くるみさんのインタビューを受ける星団長。

 

 

          一万人の参加者の前に行進の意義と成果と支援のお礼を述べる。

 

 

     ほんとうによくここまで歩いたなぁと、感無量の高橋 清君と上坪 陽事務局長。

 

 

 

 

            行進参加者の最高齢83歳の中村栄之助さん(千葉)。

 

               「人間って、ほんとうにすばらしい」と語る。

 

 

 

 

 

               大行進はおわっても、さらに行進はつづく。

 

              町で村で工場で学園で、老後保障の確立をめざして。

 

 

 

             有難うございました

 

 ひでり続きの八月一五日、京都を出発した、「くらしをまもれ、福祉をまもれ、老後保障確立国民大行進」は、全国の老友の願いを背に、国民各階層から寄せられた共感と支持、多大な協力と援助にささえられて、東京まで六〇〇キロ、三十二日間の行程を無事に終え、九月一五日、東京都体育会館に於ける、「9・15全国高齢者集会」の会場に到着することが出来ました。

 行進中各方面から寄せられた要望をまとめて、九月一四日、厚生省へ申し入れ、また同日総理大臣宛署名三万名分を総理大臣官邸に、手交いたしました。

 

 行進団参加者は全コースを歩き通した者三名の他、三歳から八十八歳までの老若男女一八〇〇人の参加となり、沿道四十九の自治体は、われわれの申し入れに応じ、年金、医療、仕事、住宅、福祉拡充と地方自治体財政の保障など、六項目の要求を支持、賛同署名に応じてくれました。

 また、この大行進に寄せられた総理大臣宛署名は、九月一四日の提出時に約三万、なお(行進後の)現在でも(署名数は増えて)引き続き集約されつつあります。カンパ金額は二百六十五万円に達しています。

 

 今回のこの国民大行進を通じ、老後保障確立の早期実現がいかに緊急の課題であるか、その実現へ向けての運動に全国の国民各階層にわたるいかに大きな期待が寄せられているか、身にしみて痛感させられているところであります。

 大行進に寄せられました御協力と御援助に心から御礼申し上げます。

 

 尚、この成果の上にたって、今後の運動発展に邁進致す所存でございますが、引き続き御協力をお願い申し上げます。

 

                                一九七八年九月

 

                                くらしをまもれ、福祉をまもれ、

                                老後保障確立国民大行進実行委員会

                                     代表委員   吉田秀夫

                                     行進団団長  星 惣七郎

 

 

 

                 第 2 部

                 ー 完 ー

           私たちは何に向かって歩いたか

          ー老後保障確立国民大行進 道中記ー

 

                       住民と自治(自治体問題研究所)1978年11月号より転載

 

                            文 ・上坪 陽(行進団事務局長)

                                   (ともろぎゆきお・詩人)

                            写真・中田輝義

                               

 

 

 

 いまの老人たちが、いまの社会を生きていくには、どうしても年金・医療・仕事・住宅・福祉など国の制度はしっかりしていないと困るわけです。そのうえで、その地域に住む暮らしやすさは、各地方自治体の行政の姿勢やきめの細かさが、ものをいうのだと思います。

 

 老後保障地域団体連合会(老地連)と全日本自由労働組合(全日自労)が協同して、京都から東京まで歩いた行進団は、総理大臣への直訴を最終目標にしながら、東海道沿道の各自治体へも、直訴項目の合意と、老人福祉拡充の要請をしました。

 

 

 直訴項目は、

 

①  老人医療の有料化などを絶対にせず、年齢引き下げ、内容改善・拡充など、老人を大切にする医療体制  をつくってください。

② いまに時代にきちんと生活できる年金を即時確立してください。

③ 永年の経験をいかし、働く意欲にこたえた仕事と賃金を保障してください。

④ 老人ホームや老人ヘルパーなど、福祉の内容を、格段に拡充してください。

⑤ 住まいの確保、国鉄など交通運賃の優待制度実施、郵便料金の割引など、社会的にくらしやすい制度をつ  くってください。

⑥ 地域でこれらのことが実現できるよう地方自治体の財政を国が保障してください。

 

ということです。

 

               ダンプの運転手も商店のおかみさんも

                ー 三日も歩くと足はこわれる ー

 

 京都府庁にはじまり、東京都庁まで四十六の自治体の行政担当の方々とお会いしましたが、すべても自治体が合意され、それぞれに激励金をいただきました。

 大行進出発の日に、八月一五日敗戦の日を選んだのにも、わけがあります。いまの老人たちのだれもが、なんらかの意味で戦争の被害を受けたというばかりではなく、いまの老人問題の根本原因をたどっていくと、そのほとんどが戦争を大きな理由にしているからです。

 

 それで八月一五日から九月一五日の高齢者大集会まで、三十二日間をあるきとおすことにしました。老人たちの意向では旧東海道を歩いたほうが、住んでいる人たちへの訴えや交流もしやすく、国道一号線の自動車の排気ガスをさけられるというので、出来るだけ旧道を行進しました。

 

 旧道といってもやはり車道ですから、そのヘリ(路肩)は傾斜していて、三日も歩くと低い側の足からこわれだします。おまけに大変な暑さと老齢ですから、弥次喜多珍道中みたいにのどかなものではなく、歩き通せたのは、まったく沿道の方々の励ましと、民医連(全日本民主医療機関連合会)の看護婦さんたちの大活躍、老人クラブや新婦人(新日本婦人の会)、全生連(全国生活と健康を守る会連合会)などの住民団体、全日自労、自治労(全日本自治団体労働組合)、日社労組(日本社会福祉労働組合)、さらに各地評(地方労働組合評議会)などの支援のおかげだと感謝しています。

 

 ほんとうのところ、こんなに反響がえられるとは予想していませんでした。とりわけ、農業地区で、どの家からも高齢者が現れて、わたしたちを見守り、元気づけ、チラシを熱心に読んでくれるとは思いませんでした。

 「老後保障」などという難しい言葉を聞いて、すぐに反応するぐらいに、いまの老人たちの生活が、都市、農村を問わず危機的になっているのかもしれません。

 わたしたちを合掌して見送る人びともいました。祈るしか要求を実現できない孤立の厳しさを、どこでも感じとりました。

 

 そして、わたしたちの訴えに応えてくれたのは、老人ばかりではなく、障害者、ダンプカーの運転手たち、商店のおかみさんや事務の娘さん、配達中の飲食店員や高校生など、老後保障への関心が幅を広げているのに、驚きました。

 

 

                子どものいない児童公園の異様なさびしさ

                 ー おしだまったまま通り過ぎる ー

 

 同じ目で、四十六もの自治体を見ると、なんて違うのだろうということが、いい悪いは抜きにしての実感でした。三十三日間、足早に自治体の展覧会を見てきた気がします。

 

 わたしたちは、老人福祉を主にして自治体要請をしましたが、老人の暮らしやすさが子どもたちの暮らしやすさ、障害者の住みやすさに、それがまた住民の福祉全体につながるということで、話し合いでは、とくにその自治体が自慢できる福祉政策・事業などを勉強してきました。

 

 滋賀県では六十八歳以上が医療無料化になっていましたし、「うちでは六十五歳以上に年齢を引き下げ、乳幼児医療も三歳未満児になっています」と町の助役が話すところもありましたが、総じていうと、やはり県段階が革新(革新系知事)でないところは、ほとんど国の制度どまりで、それだけ市町村の工夫や苦労は大変なものだなと感じられました。

 また三つの自治体で、国保会計が黒字になったと聞かされました。そのためには、五~十年もの間、健康と予防対策をつみ重ねてきたという話しには、行進団一同感動したものでした。

 

 通りがかりに声をかけると、遊んでいる子どもたちは、率直に返事をしてくれたものですが、例えば山や林や美しい川がある地域に、だれも遊んでいない児童公園があったりします。ジャングルジムや砂場やブランコが、そんな自然の環境が豊かなところでは、かえって貧しく異様に見えたときがありました。

 

 もうすぐ鈴鹿峠だという茶畑の中で、突然バイエルを練習しているピアノが聞こえてきた違和感以上に、福祉施設のあり方を考えさせられ、こんことは東京にたどりつくまで、ひとつの基準になりました。その施設(児童公園)をだれがどんなふうに利用するのかということです。

 

 また、広い地域にたったひとつセンターをつくる方式から、居住地区や学校単位に小集会所やいこいの家がつくられるなど、実用的な施策がとられはじめているのも印象的でした。

 住民本位・利用者本位の面ばかりでなく、たぶん予算が少なくて済むという点もあるのでしょうが、老人クラブへのスポーツ導入、公園整備など軽就労あっせん、老人と息子世帯のペア住宅、老人のための民間アパート借り上げ、高齢者就労事業や事業団体方式の採用、入浴車サービスなど、各自治体の説明を聞きながら、つい「ここは暮らしやすい町ですが」と失礼なことを聞き返したくなることがありました。

 

 愛知県から静岡にかけて、身が入る直前の青い稲を刈りとっていました。年老いた農民たちは、ていねいに一株づつ刈っては、歩道に並べて干していました。減反政策の矛盾と生産する者の悲しみが伝わってきました。

 

 公害だらけの街もありました。せっかくの山や林がむしとられ土地や、漁のできない漁村も、行進団はおしだまったまま通りすぎました。

 

 楽しいこともありました。愛知県では自治労の皆さんに応援いただいたのですが、岡崎市従(従業員組合)の方は、組合旗をかかげながら、家康公の苦労した土地、源氏ボタルの発祥地、近藤勇の首塚なども案内しながら、疲れた行進団を激励してくれました。「郷土を愛する自治体の労働者はすばらしい」というのが、団員の結論でした。

 

 

                生活から自治体と国を串刺しにして見る

               ー 貧困なのはほんとうに自分のせいか? ー

 

 そんな中で、各自治体の老人福祉施策は、大きくは国の制度にしばられていることと、もうひとつは、その土地に住む老人たちがどれだけ願いを要求にして、行政へ働きかけているかということ、さらにこれを受けとめて連帯する自治体労働組合の有無を確認し直したわけです。

 

 当たり前といえば当たり前のことですが、ほんとうに老後の幸せを実現するなら、やはり現実の町や地域からうまれた願いを確かめあって、容共と要求を行政に結実させる運動体が必要です。そして、自分の生活から、自治体と国を串刺しにして見通す力が大切だということを痛感しました。

 率直に言うと、大変不勉強な行政担当者もいました。不勉強なのはまことに情けないことですが、、そういう行政担当者が必死になって勉強し、考えざるをえないところまで問題の深刻さを痛感させていない住民運動への歯がゆさもいくらか感じました。

 

 わたし自身も使ったりしますが、他人の言葉で聞く「ねたきり」などという単語は、かなり残酷なひびきをもっていました。臥床中の本人はだれでも、いつかよくなって歩けるようになりたいと願っているのに、「あんたは死ぬまで寝たきりだよ」ということです。

 

 あるいはいくつかの都市公園に、住居不定の人たちが集まって野宿をしていましたが、その対策どころか調査もされていませんでした。

 行進途上、大阪から東京へ向かう住居不定の老人と、前後して歩きましたが、「わしは自分のせいでこうなったんだから、福祉の世話は受けない」と言いきりました。

 福祉を必要とする理由のすべて、その人個人の責任に還元してきた戦前の思想は、いまでも政府や厚生省の「低福祉・高負担」のやり方になって、もう一度国民全体へ拡げられようとしている気がしました。

 

 

                何に向かって六百キロ歩いたのか?

               ー 二歳から八十三歳までの大行進 ー

 

 この大行進は、各地で参加した人一八〇〇人、最高年齢八十三歳、最年少二歳でした。豊川から参加された方は、「一生の思い出になりました」といって、汗を流して帰っていきました。

 「ここは未解放部落だったんだよ。わたしたちが要求して、いろんな施設をつくらせて、ここまで町づくりをしてきたんだ」と歩きながら説明してくれた部落解放運動の、小柄だけどたくましい支部長さん。

 「人間って、ほんとにすばらしい。雨が降ったら女の人が合羽を貸してくれ、沿道で冷茶の接待をしてくれる」と、(行進中に)そういっていた老人たち。

 「どうやったら老人の要求団体がつくれるのか? 明日から組織をはじめるよ」と聞い(質問)てきた人など。

 新しくたたかうことを生きがいにしはじめた老人たちに、数多く出会いました。

 

 各自治体でよく聞かされた言葉に、「生きがい対策」と「心の福祉」がありました。「きちんと人間らしく生きる保障があれば、生きがいなんか老人自身が見つけ出す。心まで行政が介入しようというのか」、それが老人たちの答えでした。

 笹川良一が「お父さんお母さんを大切にしよう」とテレビで言っていますが、お父さんお母さんからギャンブルでむしり取った金で制作され放映されるバカバカしさは、「心の福祉」とどこかで関わりあっていないだろうか。

 

 わたしたちは、人生をかけ人間の尊厳をかけて歩きました。老人が炎天下に六百キロを行進しなければならない政治に向かって歩き続けました。その行進に挑戦するかのように、政府は「有事立法」を具体化する動きを強めました。

 「戦争は老人の敵だ。有事立法は老後保障の敵だ。老人こそ有事立法の先頭に立ってたたかおうではないか。平和としっかりした老後保障こそ、これから老人になる者へのわれわれの遺産にしよう」という声明を横浜で発表せざるをえない、老人たちの気持ちでした。

 

 大行進は終わりましたが、老人たちが、平和で安心して健康に暮らせる社会保障の確立をめざしれ、新しい行進が町づくり・地域づくりをひろげながら、全国に続けられることを願っています。

 

                                          ー 完 ー

 

                                        (文責:中田輝義)

 

 

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