「 車イス ● カナダを走る 」ー カナダ横断5000キロ ー

 

1989年6月1日、午前10時10分、曇り、気温22℃。

 

モントリオール市、ケベック州立養護学校マッカイセンター玄関前。

 

子供たちの熱狂的なカウントダウンがはじまった。

 

                                ( 枠の写真はクリックで大画面に )

心が熱くなり、興奮して、

心臓の鼓動が高まってくるのを感じる。

 

待ちに待ったこの瞬間。これからの毎日の闘いへのいろいろな緊張が交差する。

 

そしてクライマックス。

 

スリー、ツー、ワン、ゼロ、ゴー! 

 

この声援がカナダ横断の大きな励みとなった。

 

「今、自分はカナダを走っているんだ。

 

走っているのはカナダの街並みであり、浴びているのはカナダの風なのだ」 

 

そんな実感がこみ上げてくる。

首都オタワでは2人の車イスバスケットチームのメンバーが、

 

いっしょに走りたいと国会議事堂の前で待っていた。


 

上半身はウェイトトレーニングで鍛えられて筋肉はもりあがり、

見るからにパワーがありそうだ。

 

トライスクル1号機でオタワの街を走る。

 

言葉の通じない同士でも一緒に走っていると、

フィーリングで何となく相手の気持ちがわかるものだ。

 

6月4日、モントリオール市で行われているハンディキャップ・ケベック・ナショナル・アクセス・ウェアネス・ウィークの開会式に参加する。

 

障害者組織の代表やボランティア、政府要人などカナダ国内のあらゆる団体が集まっている。

 

みんなシャンペンを飲みながら思い思いの会話を楽しんでいる。

 

ムードが最高潮に達すると、開会式がはじまった。

 

その中で私たち「クロス・カナダ・ウィールチェア・チャレンジ」も紹介され熱い視線を受け、

一瞬緊張する。

 

そして大きな拍手とともに私たちは歓迎された。

 

ナショナル・アクセス・ウェアネス・ウィークのデモンストレーションとして,

 

車イスラグビーの試合が行われ、

 

飛び入りで参加した。

 

 

 

対戦相手はけい椎損傷で,

 

握力がわずかしかない重度の障害者チーム。

 

しかしけい椎損傷だと思えない動きで当たってくる。

 

 

 

 

   カナダの障害者はパワーフルだ。

 

 

 

 

 

モントリオールでは大分国際車イスマラソン大会で、

4連覇をはたしたアンドレ・ビジェさんも

トレーニングしたことがあるという、

ケベック州立身障者訓練センターを訪問した。

 

 

 

 

 

 

車イスで練習できるトレーニングマシーンがたくさんあり、失われた機能を最大限に生かすように

いろいろ工夫されている。

 

カナダではスポーツ施設がよく完備されており、障害者スポーツが社会的にも認められて、

国や州政府から資金援助がある。

 

うらやましい限りだ。

 

 

 

オンタリオ州の道路はアップダウンの連続だ。

 

登りはキツい。

 

自分を励ますために腕に話しかける。

 

 

 

「また登りだ。しんどいけれど頑張ろうぜ!」 

 

坂はだんだんキツくなる。

 

半分ぐらい来た。肩がだるい。

 

ペダルを握る手首の感覚がない。

 

 

 

自分でも顔の表情がかわっていくのがわかる。

 

「休むか?」 腕に話す。

 

「もう少しじゃないか、頑張れよ」 

 

「そうだ、もう少しだ。

 

20メートル、10、5。

 

頂上だ!!」


 

 

 

下りは一気にすべり落ちる。

 

そしてまた登りだ。

 

「この繰り返しをもう何回したんだろうか・・・・。

 

そしてこの先、何回あるんだろうか」


 

 

大粒の雨が降ってきた。

 

雨具をつけ、足には寝袋をはかせる。

 

それでも体温は急激に奪われていく。

 


 

 

 

時速100km以上で追い越していく大型トラックの水しぶきを、

 

全身にかぶる。

 

車体ごと全身がかしぐ。

 

一瞬、前が見えない。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

雨に日はきらいだ。

6月15日、オンタリオ州ティッサロンの町で43回目の誕生日をむかえた。

 

メンバーがバースディーパーティーで祝ってくれた。

 

レストランの好意でケーキも用意された。

 

この誕生日は生涯忘れることはないだろう。

 

 


 

 

一日走り終えてモーテルの部屋で汗を流す。

 

疲れが激しいときには妻がバスまで身体を運んで洗ってくれる。

 

一日に何回も着替えをして、その日のうちに洗い物もすませる。

 

背中の皮がむけて炎症を起こしている。

 

その治療を一日に3回する。

 

消化のよい食事を心がけてくれる。

 

妻がそばにいてくれるおかげで、どれほど精神的に楽になれるか。

 

私が毎日元気で走っていられるのは、妻が介助してくれるからだと思う。

 

 

 

 

 

               スペリオール湖に沿って走る、

 

          ハイウェイ17号線にニピゴンという小さな町があり、

 

          その町外れの丘にカナダの人たちが英雄として尊敬している、

 

              テリー・フォックスの像が建っている。

 

        ガンで片足を切断し短い命と知りながら、同じガン患者を励ますために、

 

            義足でカナダ横断のマラソンに挑戦した勇気ある戦士。

 

              ガンが肺にまわり、この丘で力つきて倒れた。

 

 


 

 

              義足の付け根がすれて血がにじみ、

 

         苦痛で顔がゆがみながらも太陽に向かって走る立像。

 

     彼の行動により集まった寄付金は24億円。今でもガン撲滅基金として使われている。

 

        テリー・フォックスの挑戦から比べると、私のは遊びでしかないのだろうか。

 

          彼の走れなかったこれからの道を、私は彼の分まで走ろうと思う。

 

 


 

 


 

 

 

リック・ハンセンが車イスで世界一周をしたとき、

 

2日間エスコートしたしたという警官がオンタリオ州警察の記章を記念にくれた。

 

名誉なことだ。

 

カナダの警察官は実に気さくで庶民的な人が多く、とても親切だった。

 

 


 

 

 

6月23日、マニトバ州第一の都市、ウィニペグに入る。

 

久しぶりの大都会。

 

沿道の市民が熱い歓迎のエールを送ってくれる。

 

 


 

 

 

 

 

7月1日、サスカチュワン州サスカツーン市で、カナダの建国記念日の記念行事に参加する。

 

会場ではラフなスタイルの人たちが、カナダの誕生日をピクニック気分で楽しんで祝っている。

 

 


 

 

私たちの「クロス・カナダ・ウィールチェア・チャレンジ」が会場のアナウンスで紹介され、

 

いろんな人が握手を求めてやってきてくれる。

 

車イスに簡単に着脱できる自転車に乗った障害者たちと話しをした。

 

カナダの障害者は実にいろいろと車イスに工夫をこらして楽しんでいた。

 

 


 

 

「 今日走ってたまった疲れを明日の残さないためには、

  入念なマッサージをして身体のストレスを取らなければ持続的に走ることはできない 」

 

 と、リック・ハンセンは語っている。

 

 

 

 

 スポーツトレーナーの石本さんは、猛スピードで大型トラックが爆走するハイウェイの路肩という最悪な条件でも、身体のシコリを取るために、実に繊細な手つきで鍼治療を行ってくれた。

 

 私にとって完走の鍵をにぎる重要なサポーターだった。

 

 

 

伴走は勝谷さんと片山さん。メカニックは並河さん。奥さんの真由美さんは記録と食事担当。

 

看護婦の中根さんはドライバーと食事担当。

 

このスタッフがいなければ、私は一日も走ることはできなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

                360度、地平線まで広がる大平原。

 

        真っ直ぐな道路のはるか彼方にポツンと車が見えても、なかなか近づいてこない。

 

             前方に目立つ目標がないとペースをつかむのが難しい。

 

                頭の中でいろいろな思いがかけめぐる。

 

 

 

                「こんなこと、何んで始めたんだろう」

 

             「何んで、俺がこんなことをしなければならないだ」

 

            「このことが本当に多くに障害者の励みになるんだろうか」

 

                 「ただの自己満足じゃないのか?」 

 

 

 

 

             突風のような向かい風が吹くと、厚い壁にあたったようで、

 

                   今にも止まりそうになる。

 

              それに負けまいとして必死にペダルを回し続ける。

 

           スケージュールどおりに進まないと、どうしても焦りが生まれてくる。

 

 

 

                                        クリックで写真拡大

 

 

 

 

 

               7月12日午前8時15分、快晴。 

 

          頂上手前50kmの地点からロジャースパスに挑みかかること、

 

          約6時間。 100m走っては小休止をする急勾配の山道を行く。

 

 


 

 

                     歯を食いしばる。

 

                   筋肉が音を立ててうなる。

 

          周りの山々は私の挑戦をあざ笑うかのように、雄大で堂々とそびえ立っている。

 

                 頭から吹き出してくる汗が目に入って痛い。

 

                  しかしそれを手で拭くことはできない。

 

 

 

 

 

         スタートのときのマッカイセンターの子供たちの声援が聞こえてくる。

 

        リック・ハンセンもいちばん辛かったというロッキー越えの最大の難所だ。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

          13時03分、ついに峠の頂上ロジャースパスをとらえた。

 

 

 

 


                                        クリックで写真拡大

 

 

 

  ロジャースパスの難関を越えたその時、はじめてバンクーバーのゴールを確信することができた。

 

 

 

 

 

          カムループスの町から国道5号線からコックハラ・ハイウェイに入る。

 

               32kmにわたるアップダウンが続く。

 


 

 

       地元の車イスランナーたちは、ロッキー越えよりもここのほうがキツいという通り、

 

              本当に今までで最も苦しい道だった。

 

                この先何があるか分からない。

 

                気を引き締めてかからなければ。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

      モントリオールのマッカイセンターを子供たちの声援に送られてスタートして52日間。

 

              ようやくバンクーバーのゴールの日を迎える。

 

 

 

 


 

 

        希望と不安のスタートから、オンタリオ州のキツいアップダウンの連続の道。

 

         背中の皮がむけて炎症を起こし、走り続けられるだろうかと心配したり。

 

               大平原の道をひたすら走り続けた日々。

 

                    沿道での声援。

 

                  自動車からの激励のエール。

 

         そしてロッキー越えの長く急な登り坂などが、走馬燈のように頭に浮かぶ。

 

 


 

 

 

            いよいよゴールのバンクーバー・シティホールは近い。

 

                  気持ちは高ぶり興奮気味だ。

 

           「もうすぐカナダ横断を達成するのだ」という満足感と充実感。

 

                       でも、

 

           「もう少しこの余韻を味わっていたい」という気持ちもわいてくる。

 

 


 

 

 

               赤いテープを張ったゴールが見えた。

 

               そこに身体ごと思いっきり突っ込む。

 

 

 

              1989年7月22日午前11時05分。

 

                 

                  ついに、ゴールだ!!


 

 

 

 

 

 

 

 

       7月25日、ブリティッシュ・コロンビア州立大学のゴルフハウス・クラブで、

 

       リック・ハンセン氏から昼食会の招待を受け、3年ぶりの再会を果たした。

 

 


 

 

                 リック・ハンセン氏からは、

 

    「 このことは多くの障害者に希望と勇気を与えることになります。成功、おめでとう! 」

 

               という祝福の言葉をもらった。そして、

 

 

      「 私は今、オリンピックに障害者も参加できるよう運動をしています。

 

        あなたも日本政府に是非働きかけて下さい。一緒に頑張りましょう 」

 

                   と話しかけてくれた。

 

 

        私も国民体育大会に障害者が参加できるよう働きかけが必要と思っており、

 

        障害者スポーツの発展のために共に力を合わせることを固く約束しあった。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

                                       ー 完 ー

 

 

 

 

宮下 高

走者

1946年6月15日生まれ。1970年労災事故により胸部以下マヒとなり、車イスの生活となる。退院後、職業訓練所に入所。

1975年千歳市内で写植業を自営。

1981年身障者の街づくり運動のため、「まちをよくする会」「ちとせふれあい広場」を設立し会長を務める。

北海道障害者国際交流派遣団としてスウェーデン・イギリスを訪問。

1980年から車イスマラソンを始め、数々のマラソン大会に参加。

1985年障害者の社会参加を訴えるため「北海道車イスマラソンクラブ」を設立し代表を務める。

北海道恵庭市在住。

「 サイクリングの旅を終えて 」

 

 今回のサイクリング車イスカナダ横断には、大勢の人たちご協力ご支援をいただきましたことに、深く感謝いたしております。メンバー一同協力し合い助け合い、無事成功することが出来ました。重ねてお礼申し上げます。

 

 サイクリング車イスによるカナダ横断は、私たち障害者の可能性を理解していただくとともに、少しでも障害者の社会参加と、障害者・健常者にかかわりなく多くの人たちに夢と希望を与えお役に立てられればと思い実行したものです。

 

 私は19年前に労災事故で障害者となり、絶望のどん底に落ちたときの自分を考えると、「今、思い切って街に出てみよう」とか「何かをやってみよう」と思っても、なかなか一歩踏み出せないでいる障害者の気持ちは痛いほど分かります。

 私も初めて車イスに乗って街の中に外出したときは、周りの人が自分をジロジロ見ているのではないかと気にして、人目が怖かったのを覚えています。

 

 しかしそうは言ってもこれからの一生、そんな気持ちで生きていくわけには行きません。自分の人生ですから、自分で切り開き充実した人生にしたいと願うのは誰しも同じだと思うのです。

 そのように考えると今がどん底ならそこからはい上がっていくしかないし、一度しかない人生を悔いのないように生きていくのが最善ではないかと思うようになりました。車イスに乗って、今までやったことのない事にチャレンジするのも楽しいかも知れないと思うと、希望と勇気が湧いてきました。

 

 私はそれからというもの、出来ないのではと思えることでもやってみなければわからないと考え、いろんなことにチャレンジを重ねて行動範囲を広げてきました。それは障害者の生活圏を広げることにもなったのです。そして今回、障害者になって19年前には考えもしなかったカナダ横断行ったのです。今の自分から一歩前に踏み出すことにより、人生観や世界観が変わるんだということを学んだのです。

 

 今回のカナダ横断は私にどのような結果をもたらしたでしょうか。

それは何事にも積極的に挑戦することにより今までの自分の殻を打ち破り、新しい自分を作ることが出来るということです。

 カナダでは障害者が積極的に行政に働きかけ、主権者である障害者が行政を動かすのだと堂々と権利を主張しており、障害者の力強さを感じました。頭だけで考えるのではなく実行することで大きな自信になることも、カナダの人たちと対話することで日本にないものも学びました。

 

 カナダでは50年前までは街の中では障害者の姿がほとんど見られず、施設に収容されていたと言います。20年前から本格的に障害者問題が論議されるようになり、現在では日本よりかなり進んでいます。これには障害者自身の行政に対する要求運動が大きなとからとなっていました。

 日本でも主権者である私たちが生活改善の要求をしていくのは憲法で保障された当然の要求だし、このような運動なくしては障害者の社会への「完全参加と平等」はありえません。

 

 どんなに難しく変わりそうにない障壁も夢と希望を持ち一歩踏み出すことで、自分自身あるいは社会も変えることが出来るのだということを、人間てすごいことが出来るんだといことを、カナダ横断の旅の途中でカナダの障害者や多くの人たちから助けられ協力し合いながら学ぶことが出来ました。

 これからも私は障害者の権利が守られ本当に住みよい社会を作るため、皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います。

 

 ご協力ご支援をいただいた皆さんへ、本当にありがとうございました。

 

                                        宮下 高

宮下かほる

介助・食事担当

 

1950年7月27日生まれ。1971年北星女子短期大学附設保育専門学校卒業後、千歳市内幼稚園に勤務。

1978年宮下高と結婚。

「まちをよくする会」「ちとせふれあい広場」などの障害者街づくり運動に夫ともに参加。

1985年車イスマラソンリレーにも夫と同行。 

趣味ースキー・編み物。


勝谷太治

サブリーダー・伴走・渉外・ドライバー

 

195512月2日生まれ。専修大学人文学科卒業後、上智大学神学部に学び、

1986年4月カトリック司祭に叙階される。

現在、夕張教会にて司祭として働く。

主に青少年の指導に当たり、青少年の東南アジア交流にも力を注いでいる。

趣味ーアマチュア無線・サイクリング・旅行。

片山久史

伴走・渉外・ドライバー

 

1963年9月27日生まれ。1985年京都外国語短期大学英文科卒業。

同年5月、ボランティア団体を通じて海外協力。フィリピンにて熱帯農業に従事。

1986年インド・フィリピンのカトリック教会で奉仕活動に従事。

1989年に帰国。

北海道登別市在住。

中根佳子

医療・ドライバー

 

1961年2月14日生まれ。

1983年天使短大看護学科専攻科卒業。

1984~1986年札幌市天使病院婦人科勤務後、

フィリピンに2週間行く。

1987年4月より北海道夕張郡赤十字栗山病院婦人科に勤務。

 趣味ードライブ・スキー。

石本英樹

トレーナー

 

1965年7月13日生まれ。

1988年北海道高等盲学校専攻科理療科卒業。

同年札幌市内出羽施術所勤務。

資格ー鍼灸マッサージ師。

趣味ースポーツ(格闘技)。

札幌市中央区在住。

並河禎隆

メカニック・ドライバー

 

1952年生まれ。高校卒業後京都へ就職、1983年札幌に戻る。

1986年12月コウサイ福祉機器研究所に入所、

機器製作技術者として勤務。

1987年結婚。

特技ー国内B級自動車ライセンス・調理・経理。

趣味ー映画鑑賞・魚釣り・盆栽。

札幌市西区在住。

並河真有美

食事・記録担当

 

1962年6月3日生まれ京都府出身。

高校卒業後、(株)セントラルファイナンス京都支店に勤務。

1987年札幌にて並河禎隆と結婚。

特技ー洋裁。

 

 

                         奥付

                        「車イス ● カナダを走る」ー カナダ横断5000キロ ー

                        1990年3月26日発行

                        発行者   サイクリング車イス・

                              カナダ横断実行委員会

                        写真・著者 中田輝義

                        印刷・製本 (株)北海道機関紙印刷所

 

                              (写真・文章の転載、複写は厳禁)

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