2012年

12月

31日

大学受験から学んだこと

 

 毎年の秋から冬の季節の変わり目はどうしても身体がついて行かず、特に今年の冬の寒さの厳しさには、例年以上の体調の不良に悩まされておりました。

 この度の大学受験の体験は、いったい何だったんだろう? 僕の人生にどんな意味があったんだろう? 何を学んだんだろうか? いろいろな思いがつぎつぎと表れては消えて、答えを見い出そうともがいても集中力が途切れ、きちんとした文章にまとめることも出来ず、ただベッドで悶々として起き上がれない日々が続いておりました。

 やはりこれは今年中に決着をつけておかなければ新しい年が迎えられない。書き記しておかなければと決心して、勇を鼓(こ)して、首と両ひじや指先の痛みをおさえる痛み止めの薬を飲みながら、今、Mac のキーボードを叩いております。

 

 実は僕は小論文試験と面接試験が終わった時点で、正直、”こりゃー、ダメだ!”と直感しました。

 与えられた小論文試験のテーマは僕には不得意な分野からの出題ではあったけれど、問題の出し方、設問のあり方には、ある一定の枠を決めてその範囲の中で考えなさいという設定があり、とても窮屈に感じたのです。

 また面接試験の5人の試験官がくり出す質問は、いずれも在り来たりか、高校卒業の受験生に対する質問のように感じられとても息苦しくて、僕の期待を大きく裏切るものでした。

 そんなこと当たり前のことかもしれません。出題する側も質問する側も、あらかじめ設定した範囲内でのその解答でもって選考するのは当然のことだろうと思います。

 

 今回僕が挑んだフェニックス方式という制度は、大学入試センター試験や広島大学AO入試の総合評価方式など、5教科のペーパーテストの点数によって合格者を選別するのではなく、一定の社会生活や人生経験を経てきた中高年者にも、大学教育の機会が得られるよう大きく門戸を開いたものだと僕は解釈していました。受験申請にわざわざ志望理由書や高校を卒業からの経歴書の添付を義務づけているのも、受験申込者の人物人柄、勉学の意志や熱意を重要視するからだと、僕はそのように認識していました。

 でも相対した小論文試験は、限られた分野のごく狭い範囲からの出題と設定で、受験者の自由な発想や見識・考え方を問うものではないように感じました。でもこれは不合格者の都合のいい言い訳・ひがみ根性、穿った見方に過ぎないにでは?という思いに、僕はずうっと自問自答していました(苦笑)。

 

 今年のフェニックス方式による総合科学部への受験者は僕ひとりでした。面接試験を受けるのは僕だけです。時間は充分にありました。でも5人の試験官の質問はマニュアルどおりだけで、それ以上に僕の志望理由や経歴についての関心事も、突っ込んだ質問もなされず、面白そうな人物像を発見して新しく総合科学部に迎え入れようとする熱意も感じられませんでした。それが一般入試ではない、それがフェニックス方式の利点だろうという認識を僕はもっていたのですが、僕が志望理由書に満身の思いを込めて書き上げた、

 

「僕が総合科学部で学びたいことの第一義は、それは人間はどうすれば幸せに生きていけるのだろうか、ということです」

 

という思いは決して届かず、一顧だにありませんでした。このことも僕のひがみ根性なのではないか?という考えに、僕はずうっと苛まされていました(大苦笑)。

 

 結局は僕の独りよがりなのかもしれません。

僕は面接試験を受けている最中に、”こりゃー、ダメだ!”と思いました。

 この先生方は自分たち、乃至(ないし)総合科学部内では、今までの考え方やり方の選考基準が重要で、こんな人間がいて、異なる価値観を持ち、異なるやり方をすることもあり得るのだということを受け入れる余地がないのではないだろうか?、と感じてしまいました。

 それとは逆に、この先生たちからすれば総合科学部内の判断をせざるを得ない立場なんだろうな、とも感じました。そこに僕は権威主義とか官僚主義のようなものも感じとってしまっていました。そう思ったとき、本当に正直なところ、僕は総合科学部で学ぶことの意味というか、情熱とかいったものが急激に失せていくのを感じてしまっていたのです。

 さらに極めて傲慢な言い方をすれば、たとえ相手が大学の教授・先生方とは言え、フリーランスのプロカメラマンとして生きてきた僕とはお互い大人同士、対等の立場だ。また僕には「電動車イスひとり旅」に挑戦したフリーランスでプロフェッショナルな身体障害者としての自負心もある(ちょっとテレ笑い)。

 もしお互い人間同士として生きる共感というものを得られたのならば、僕という存在を受け入れ総合科学部に迎え入れてもらえるかもしれない。一縷の望みがあるかもしれない。でもそんな出会いなんて奇跡のようなものだろう。僕は面接試験が終わったときにそう感じていました。

 結果はやはり不合格でした。

 

 僕はやはり在野の人間なのだろう思います。そこでしか生きられない人間なんだとあらためて自覚します。

 「大学受験から学んだこと」のこんな文章を書き上げてしまって、僕はいろんな人たちから、傲慢だ! 失礼だ! 生意気だ! の、お叱りを頂戴するかもしれません。それと覚悟しつつも、僕は自分の正直な気持ちを伝えるしかありませんでした。どうか苦衷をお察し下さい。

 

 僕は大学教育というものに少なからず大きな夢と期待を持っていました。でも現実はそんなに甘くないものですね。僕は今さら大学を卒業したところで良いところへ就職出来るわけもなく、また大学院まで進んで学者の地位や肩書きが欲しいわけでもありません。ただ純粋に「万人がすべて幸せに生きるにはどうすればよいのだろう」、そのことを学びたかっただけです。

 各大学が掲げている教育理念と実際の現場とは、別物なのかもしれません。でも多くの人たちはそんなことに意も介さず、上手く切り抜けて行ける知恵をお持ちなんでしょう。僕が”甘っちょろい”だけなのだと恥ずかしさを覚えます。

 

 僕はこれまでどおり、独断と偏見、さらには妄想までも加えて(笑い)、自分なりの勉強方法で生きていくしかないのでしょう。今の僕には自分の足で歩いて世界の各地域に出かけて行って、いろんなものを見て感じることはもう叶わないけれど、僕は自分の部屋にいながら充分にアンテナを張り巡らせて、世界の今を、この世の中の有り様にも鋭敏に反応していかなければと思っています。僕自身が学際的であろうとするよりも、中田輝義が長年フリーカメラマンとして培ってきたジャーナリスティックな視点・感性をこれからも信じていこう。それが今の僕の覚悟であり、僕の学びの道なんだとつくづく感じます。

 

 行き届きませんでしたが、このブログが今年最後の送信となります。

来る年が皆々さまにとって、麗(うるわ)しい日々でありますように、心から祈念申し上げます。

至らぬ僕、中田輝義でありますが、来年もよろしくお付き合い下さい。

 ありがとうございました。

 

中田輝義 拝

 

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コメント: 2
  • #1

    show36 (日曜日, 25 10月 2015 07:18)

    中田様
    突然のコメントをお許しください。
    小生、53歳のサラリーマンです。
    広島大学のフェニックス制度に興味を持ち、色々と調べておりますが、
    中田様のおっしゃるようなものならとんだ期待外れです。
    中高年を受け入れる大学は少子高齢化を背景に増えていますが
    カルチャーセンターの延長のような気がして、食指が動きません。
    そんななかで広島大学の試みは普通の学生に混じって、
    高度な学問を学べるのではないかと期待していたのですが。

  • #2

    中田輝義 (月曜日, 26 10月 2015 12:24)


    show 36 さんへ、
    コメントを拝受しました、ありがとうございました。

    3年と10ヶ月を過ぎてのレスポンスに驚き感激し、かつ戸惑っております(苦笑中)。
    と言うのも文面を読ませてもらって、いまいち、
    show 36 さんのコメントの趣旨が僕には理解しがたかったからです。
    そのために返信が遅れました、ごめんなさい!

    show 36 さんはこれからどうするおつもりですか?
    実際のところ何をなさりたいのでしょうか?

    僕への質問でしょうか?
    僕に何かの意見を求めておいでなのでしょうか?
    それともただご自分の感想か、思いを述べられておいでなのでしょうか?
    僕は何を、どうのようにしてあげればよいのか、
    判断できませんでした。

    失礼を顧みず忌憚のない意見を申し上げました。
    ご気分を悪くなされたのなら申し訳ありません。
    もしよかったら、僕のコンタクトメール terry@ann.ne.jp 宛まで、メールを下さい。
    お待ちしております。

    中田輝義 拝

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