「熊野の郷・雲」写真展

「熊野の郷・雲」写真展」ポスター

 

「熊野の郷・雲」写真展は、2012年4月22日から5月5日まで、

広島市中区袋町「広島市市民交流プラザ」の1F・展示ホールで、

 

主催:障害者活動センターあゆみ・あゆみ後援会

共催:財団法人広島市未来都市創造財団

後援:熊野町・熊野町教育委員会・熊野町社会福祉協議会・

   エプソン販売株式会社

 

 ならびに、ピカソ画房・ピカソ・グラフィック・ステーションの

 支援をえて、開催したものです。

 

ここに感謝の意を捧げます。

 

中田輝義 拝

 


 

ご 挨 拶 

 

 

 この度、安芸郡熊野町の「障害者活動センターあゆみ後援会」主催の活動報告展に、「熊野の郷・雲」写真制作を担当した、元フリーカメラマンの中田輝義です。

 

 東京・札幌を中心におよそ20年のフリーランス活動を続けたのち重症筋無力症を発症し、上下両肢の体幹機能障害と多発性神経炎・へバーデン結節により写真を断念。郷里の広島に帰り、身体障害者手帳1種1級が交付され、熊野町内県営住宅に住んで10年。この間、外出もままならず、ほとんど自宅療養の引きこもり状態が続いていました。

 

 僕にはもう写真は撮れないんだ。後は寝たきりの老後を待つのみか。そんなこと僕には絶対に我慢が出来ない。僕にはまだ何か出来るはずだ。そんな思いを抱きながら、日々の時間を無為に過ごしていました。

 そんな時、友人がデジタルカメラを紹介してくれました。もうかつて使用していた重たいカメラは持てないけれど、これなら何とかなるかもしれない。

 

 僕が出来ること。それは僕の10階の部屋のベランダから見える熊野の郷の風景と、四季折々、朝な夕な変化する雲の表情。同じ風景は二度とない。人生も同じ。この一瞬を大切に生き切ろう。

 フリーカメラマン当時から僕はモノクロ写真が大好きでした。パソコンで写真加工した「熊野の郷・雲」写真展は、車イスの視点から見た僕の心象風景なのかもしれません。

 

 僕がお世話になっている訪問看護師やホームヘルパーさんたちにこの写真を見せると、

”いつも下ばかりを向いて生活していて、熊野の空にこんなにも変化に富んだ雲があったなんて、初めて気が付いた” ”子供の頃は雲を見て魚に見えたとかウサギに見えるとか言って遊んでいたのを思い出す” ”雲をゆったりながめる心の余裕が必要なんだね”

との、感想を語ってくれました。

 

 僕は、こんな写真でも、ひょっとして何かの役に立てられるのかもしれないと感じました。あらためて自分の住んでいるところを見直したり、日頃の生活にうるおいを持ってもらえるキッカケになるのだったら、こんな光栄なことはないし、お世話になっている熊野町への恩返しにもなると思いました。さらにガンバってこの写真を撮り続けようと、意を強くしました。

 

 本日は僕のつたない写真をご観覧いただき、ありがとうございます。

この上のお願いは、ただ”障害者が撮った写真”としてではなく、一個の作品として鑑賞にたえられるものかどうか、きびしい感想・意見をもらえれば、僕のこれからの写真活動に大いに参考にさせて頂く決心をしています。よろしくお願い申し上げます。

 

 ありがとうございました。

 

                              熊野の郷の住人 中田輝義、拝。

                              2012・4・22 記。

 

                                       (クリックで大画面)

 

 

「熊野の郷・雲」写真展によせて

 

 

 「熊野の郷・雲」写真展では、展示している一点一点にタイトルを付けておりません。

僕がこの”雲シリーズ”の取り組みを始めたとき、これまでの僕の経歴にこだわらず、元プロカメラマンであるとかアマチュアであるとかに関わりなく、またどこそこの出版社に持ち込もうとか、どんな形で写真展に発表しようとか、そんな計画も一切ありませんでした。ただ、素直な気持ちで目の前に広がる雲の風景を撮ろう。ああでもない、こうでもないというテクニックなどもう無用で、きれいだなぁ〜とか、うつくしいなぁ〜と思ったその瞬間にシャッターを切ればいい。それだけでした。

 

 僕とって今回展示する写真30点は、みんな僕の思いを雲に託した一連のシリーズで、一点一点にタイトルを付けようなどと思いもしなかった。そんな必要さえ考えも及ばなかった。さらには、季節はいつで何月何日の何時頃で、その時の写意とかデータを書きとめておこうという発想すらありませんでした。そんな限られた条件の下(もと)ではなく、人間世界の時間や空間を超越した、地球的時間の宇宙的空間の中にたたずむ雲の表情に迫ってみたかったのかもしれません。だから30点でひとつの作品というつもりで、僕の心象風景で、だからこそ写真を観た人にそれぞれが自由にイメージを広げてもらいたい。そのためにあえてモノクロ写真という表現手段を使っているだと思うのです。そんな心境・境地に至ったのだ思うのです。

 

 でもこれって表現者としては、観る人にけっして親切な態度ではありませんよね(苦笑)。傲慢だとお叱りを受けるかもしれません(さらに苦笑)。昨今では、現代人の多くはマニュアル本や解説書ばかりを頼りにして(その分、お上(かみ)やえらいさんや、権威ある人、既成事実や常識に重きをおく人などなど、管理する側の人たちの言なりになって、イイ子ばかり増えてきているのかもしれませんが)、自分で自由に考える・発想する、イメージを広げる人たちが少なくなってきているように思えるのです。この写真展は僕の現代的風潮に対するレジスタンス・アンチテーゼなのかもしれません。

 

 いつだって中田輝義は問題児です(大苦笑)。

僕が「電動車イスひとり旅」に望んだときも、”なぜ電動車イスで、なぜひとりでサポートもつけないんだ?”。”なぜ飛行機だったらダメなんだ!”と、僕の思いは少しも理解してもらえませんでした。

 今回の写真展でも、”なぜモノクロで、なぜ雲だけの写真なんだ”とよく質問を受けます。”難病患者で身体障害者なんだから、もう少しおとなしくしていたら”とも言われます。僕がやりたいこと考えていることは、いつだって周りの人たちからは奇異に見られ理解されず、物議をかもし出してしまっているようです。少し淋しい気もします。しかたがない、これが中田輝義なのでしょう。

 

 そこで本当のところ、中田輝義はこの一年あまりどんな思いで”雲シリーズ”にとりくんできたのだろうか。それを記録しておくことも大切なことかもしれないと思い立ちました。

 今回の写真展用に撮り溜めたおよそ1000カットの中から30点をセレクトして組写真として並べたとき、”ああ、僕はこんなことを言いたかったんだ”という、ある一つの物語が頭に浮かんできました。

 

 

 ああ、雲の奴、気持ちよさそうに浮かんでいるなぁ

あっちから流れてきてこっちの方の空に流れ去って行き。向こうの山からもくもく沸き上がってきたあの雲は、天を衝く勢いだ。まるで大空に君臨する生きもののようだ。雲たちはひとつとして同じ形のものはいないし、ひと時として同じところにとどまることもない。千変万化として自在無碍(むげ)。万物は流転するのたとえそのものだ。

 

 それを見上げる僕は、過去にあった辛いこと・悲しかったことを今でも心のなかに引きずりこだわりを捨てきれずに、同じところにとどまってばかりの自分ではないのか。あの雲たちは、固執する心も執着する心も流し去って、次の新しい場所(ところ)に勇気を持って挑めば、きっと心も軽やかになって生きていることが楽しくなってくるよって、そんなことを教えてくれているんだろうか。

 

 あの雲の上はお日様の光り輝く天上界だ。その下に僕たちが住む地上界がある。雲はひょっとして、まばゆいばかりのお天道様の熱光を地上界にやわらかくして届けるフィルターの役割をしているんだろうか。いったん自分の身の内に光を取り込んで、熟(うれ)させて、この地上界の生きとし生けるあらゆる生き物にやさしく遍照(へんじょう)を振りかけているんだろうか。

 

 きれいだなぁ。こんな景色が見れてうれしいなぁ

僕は難病に冒され身体に障害を抱えつつ生きている。でもそんな境遇に負けずに今僕にできることを思いっきりやって生きていれば、僕はあの雲と同んじ、自由だ。

 四季折々、朝な夕な変化する雲の表情。同じ風景は二度とない。人生も同じ。この一瞬一瞬を大切に生ききろう。

 

 ありがとう、雲さんたち。

 

 

 僕のこんな思いが、写真を観てくれた人たちにどれほど伝わるだろうか?              

 

                       中田輝義、拝。

                       2012・4・24 AM1:58 深夜記。

 

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