「ジェームス・ナクトウェイ」

 

 

 12日(水)PM.10:00、WOWOWで映画「戦場のフォトグラファー ジェース・ナクトウェイの世界」を観た。2~3日経ったいまでもまだ、血が騒ぎ、興奮がさめず、頭から離れないでいる。ようやく書けそうな気がして、やっとキーボードに向かっている。

 

 WOWOWのプログラムガイドの解説によると、

”危険を覚悟で紛争などの最前線へ飛び込むフォトジャーナリストのいきざまをとらえたドキュメンタリー作品。チェチェン、コソボなど、命を懸けて世界各地の戦場に赴く戦場カメラマン。20世紀最大の報道写真家ロバート・キャパの精神を現代に受け継ぐ戦争写真家ジェームス・ナクトウェイの人物像に迫る。”

とある。

 

 そして、映画「戦場のフォトグラファー」の公式HPhttp://www.mediasuits.co.jp/senjo/には、”なぜ戦争を撮るのか?”と、ナクトウェイ自身の言葉が掲載されている。少し長いが紹介する。

 

『 戦争は常に存在してきた。今も戦争は世界中で巻き起こっている。そして将来、戦争が無くなるとは考えにくい。人類の文明が進歩するにつれて、同胞を破滅に追い込むための手段も、これまで以上に効果的で、非道で、破壊的になっている。 

 

 写真という手段で、有史以来、ずっと存在してきた、人間行動のひとつのパターンを終わりにすることは可能なのだろうか。これは無理な考え方かもしれない。だが、その考えだけが、これまでの私を突き動かしてきた。 

 

 私にとって、写真の力は、人間的な感覚を呼び覚ますことにある。もし戦争が、人間性を否定する行為なら、写真は、戦争とは反対のものとして捉えることができる上、まともに利用されれば、戦争への特効薬たるパワフルな材料になり得る。 

 

 ある意味、もし個人が、世界中のみんなに、何が起きているのかを伝えるために、戦争の真っ只中へと赴くリスクを背負うなら、その人は平和を求めて交渉を図ろうとしていることになる。もしかしたら、戦争を存続させる権限を持っている者たちが、周りに写真家を置きたがらない理由もそういうことなのかもしれない。 

 

 もしみんなが、リン化剤の粉が子供の顔にどんな影響を与えるか、たったひとつの銃弾が当たることでどれだけの説明しがたい痛みを生むのか、ギザギザな榴散弾の破片ひとつがどうやって人の脚を吹き飛ばすのかを、一度でいいから自分の目で見ることができたなら、と思うことがある。もし誰もが、自分の目で、恐怖と悲嘆をただの一度でいいから見ることができたなら、何千人どころか、たった一人の人間にさえ、そもそもそんな状況に立たせる価値などないことなど理解できるだろう。 

 

 だが全ての人がその場に身を置くことはできない、だからこそ写真家がいるわけだ。彼らのやっていることを人々に見せ、手を伸ばして気づかせ、止めさせ、起きていることに注意を向けさせるために。無力なマスコミの壁を超え、無関心から人々を揺り覚ますために、十分に力強い写真を撮るために。強く訴えて、皆に訴えの声を広げるのだ。 

 

 写真家として最も辛いのは、他の誰かの悲劇で得をしていると感じることだ。この考えは常に私につきまとう。個人的な野心を優先すれば、魂を売り渡すことになる。人を思いやれば人から受け入れられる。その心があれば私は私を受け入れられる。 』

 

 

 ムーヴィーカメラは、銃弾が飛び交う紛争の現場を、35ミリカメラで撮影するナクトウェイの姿を克明(こくめい)に追いかけている。さながらその場にいるような臨場感がある。そして彼の動きを目で追って行くと、実に無駄のない動きをしている。あわてたり足をバタつかせたりしない。さっと近づき、必要なだけシャッターを押し、次に備える。静かでスムーズである。しかも戦場においてである。よほど熟練されていないとこのようには動けない。彼の本能がそうさせているのだろうことが、解る。

 

 そしてナクトウェイの撮影姿勢だ。彼の撮影を見ていると、誰の側に立ってどのような視点で撮っているのかが、よく解る。カメラ撮影の三原則に、カメラポジション、カメラアングル、カメラディスタンスがある。その写真家がどの位置から、どのような角度で、被写体にどれだけの距離を置いて撮影したかで、その写真を見ればその写真家の考え方、思想が解る。ナクトウェイの写真を見れば、彼が何を伝えたかったのかがよく理解できる。

 

 ロバート・キャパは、ノルマンディー上陸作戦などの歴史的にも有名な戦闘シーンを撮影したが、戦争にもてあそばれる子供たちの姿も撮影している。キャパは、子供たちの視線に合わせて地面にひざまづいて撮影している。ナクトウェイの写真もキャパに通ずるところがある。何のため誰のための写真か? 写真が雄弁に語っている。

 

 ここ数日、悶々(もんもん)とした日々が続いていた。映画「戦場のフォトグラファー」が、僕に対して、同じフォトジャーナリストの”端くれ”として、お前はどんな写真を撮ってきたのだっ! と、問いつめるのである。

 

 僕が、東京時代、札幌時代にフリーカメラマンとして撮影してきたのは、寝たきり老人、独居老人、心身障害者、難病患者の生活実態。出稼ぎ労働者と家で待つその家族たちだった。

 太平洋戦争後の未曾有の好景気、高度経済成長に狂奔する日本。その陰で、戦前戦中戦後の社会を生き抜いてきた老人たちは、老人に福祉の金をつぎ込むのは、枯れ木に水をやるようなものだとまで云われて、実際の生活状態はどうなっているのだろうか? 大都会では?農村では? 豊かになった日本の一皮むいた実態は、どうなんだろうか? それらをテーマにしたモノクロ写真で取材をしていた。

 世の中はカラーのコマーシャルフォトの時代だった。僕は写真を持って出版社雑誌社をまわっても、相手にもされなかった。発表の場も機会もごくわずかだった。

 

 ジェームス・ナクトウェイも言っている。

『きれいな旅の風景や、ファッションや、映画スターや、美味しそうな料理が載っているグラフ誌のとなりに、戦争写真なんかを掲載するのは出版社やスポンサーは好きではない。フォトジャーナリズムはますます不遇な扱いとなる。』。僕は「戦場のフォトグラファー」のように弾丸が飛び交うような撮影現場にはいなかったが、フリーカメラマンとして生き抜くことには、命がけだった。

 

 また、ナクトウェイは、「写真家として最も辛いのは、他の誰かの悲劇で得をしていると感じることだ。この考えは常に私につきまとう。」と言っているが、僕も寝たきり老人を抱える家族から、「うちのおじいちゃんの写真を撮ってどうするの?」「その写真でお金儲けしているんだね」と云われたことが何度かある。僕は答えられる言葉もなく、愕然(がくぜん)としていた。それでも撮影を依頼するには、信念と勇気が必要だった。僕は戦場の死体を撮影することはなかったが、親しくなったおじいさんおばあさんの何人かは、死んでいった。

 ナクトウェイのこの言葉は、僕にも実感として理解できる。

 

 いま僕は僕の手元にある僕の写真の一連を見ている。

お前の写真は世の中の役に立ったのか? その答えを突き詰められている。

僕は今、こうしてキーボードを打っているが、誰に対してでもない、僕自身に対して書いているのだと思う。過ぎ去った自分の今までの道、これから歩んで行く道。

諸事情があり、今は写真からリタイアしている。しかし、お前にはこれからの道に何が出来るのだ? どう生きようとしているのだ? 

 

 映画「戦場のフォトグラファー ジェームス・ナクトウェイの世界」は、僕にあらたな決意を促しているのだと、思う。

 

terry.   

05/01/15

 

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