「春宵一刻値千金」
「春の宵のひとときは、千金にも値する」
少しづつ暮れなずむ春の夕暮れの美しさを謳った、
中国北宋時代の詩人、蘇軾(そしょく)の七言絶句「春夜」のはじまりの一句です。
この時期にぴったりの有名な漢詩の一句です。
ちょうど今ごろ、僕の部屋から見える熊野の山並みと盆地の夕暮れは、
蘇軾が謳ったままのその風景を見ることが出来ます。
あの西に傾いた夕陽から、手を差し延べるようにして出された斜光には、
なにやら幽玄の世界に引き込まれそうな、不可思議な魔力を持っています。
春霞の中の小さなそれぞれの水玉の一粒は、
入射角と反射角によって産み出された絶妙な輝きを得て、
うす桃色に色づいた春の息吹きは、山々や野原や小さな森を大きく包み、
妙に艶めかしい妖気を孕んで、
その生命力を辺り一面に吐き散りばめているようです。
そしてその艶めかしい息き吹きから醸し出れる光景は、
夕陽がさらに傾くにつれて、
刻一刻と、微妙に変化して行きます。
山はうごめき、漂い、
まるで、肩をはずませて、呼吸をしているかのようです。
その様に僕は、軽い眩暈(めまい)を覚えながらも、
僕に、ま新しい生きて行く力を与えてくれているようにも、感じられるのです。
この世のあらゆる森羅万象に、
素直に頭(こうべ)を垂(た)れ、感謝する気持ちも起きてくるのです。
後記一言、二言。
ここまで書き進めて、
やはりこの漢詩の全体を書き込まねばならないと思いました。
春宵一刻値千金 しゅんしょう いっこく あたい せんきん
花有清香月有陰 はなに せいこう あり つきに かげ あり
歌管楼台声細細 かかん ろうだい こえ さいさい
鞦韆院落夜沈沈 しゅうせん いんらく よる ちんちん
いつも流れている踊りや歌舞や管弦楽の調べも、この野外の舞台には音もなく静かです。
院落(=中庭)にある鞦韆(=女子のためのぶらんこ)は、
乗る乙女たちの姿もなく、夜は静まって行きます。
ただ、月が輝き花が香るばかりです。
作者の蘇軾にとっては、他に何も要らないのです、この春の宵のこの一刻があれば。
蘇軾は、この世の世俗の地位や名誉や快楽に背を向けたり、
ただ単に否定しているのではないと思います。
それよりも、それはそれとして、
こんなにも春の宵の一時(いっとき)は、快いではないか。
その一瞬一瞬を大切に生き切ろうと、
世俗をのり越えた自分の境地を語っているのだと、僕には思えるのです。
蘇軾は、ただ、自然の一時の移り変わりの極致を述べています。
それは、芭蕉の句境にも通じるものだと、僕には思えるのです。
そのむかし、高校の古典古文漢文の授業なんて、
退屈で、クソ面白くもなくて(キタナイ言葉でゴメンナサイ!笑い)、
あくびを我慢するだけの授業だったけれど、
妙に耳に残っている言葉もあり、
やっとこの年齢(とし)になって、味わい深く感じられるのは、
少々不思議な心持ちがします。
春の宵の一刻、貴重なお時間を、こんなお話しでみなさんを過ごさせて、
申し訳ありませんでした、あっはっは!。
ありがとうございました。
てりー、拝。
06/03/26
Re(1):「春宵一刻値千金」
てりさん、涙出たよ。
それはおいらの個人的な感傷であって、
涙するもんじゃあないかもしれんけど、泣けた。
春宵一刻値千金.............。
ひとつふたつまばたきしてる間に
どれだけの、瞬間が、飛び去っていったんだ。
気がつきゃこんなに老いぼれちまった。
みねぼう√だけど明日はやってくる。
Re(2):「春宵一刻値千金」
みねぼうさんへ、
春の一刻は千金の値がありますが、春は、なお、天気も定まらず、
心にも身体にも変調を来すものかも知れません、ご自愛下さい。
そして、春は、季節の移ろいを愛(め)でるものでもあります。
副作用の起きない程度に、例の?栄養ドリンクで、精気はつらつにお過ごし下さい、あっはっは!
返メールを、ありがとうございました。
若いころには、若さと体力は永遠に続くものだと思っていました。
時間なんて、無限だ!とさえ思っていました。
こうして今、顔にシミができ、皴(しわ)も増え、頬(ほお)は弛(たる)み、
己(おのれ)の老齢(とし)と体力の衰えを、
イヤがオウでも感じさせられずにおれない自分自身。
改めて、諸行は無常であり、万物は流転するの例えを、身にしみて感じますネ。
思い返して自分の人生を眺めれば、がむしゃらにここまでやって来たけれど、
そのために得られたものもあれば、失ったものも数多くある。
天秤ばかりにかけて、貸借対照表を出し、損益計算表で測ってみて、
いまさら、+(プラス)に出たところで、-(マイナス)に出たところで、何になる。
結果はどうであれ、これが僕の人生じゃないか。
やり直しなんて利かない、
たった一度の人生を僕はこうやって生きて来たんじゃないか、と、そう思うだけ。
みねぼうさんのおっしゃる通り、
”みねぼう√だけど明日はやってくる。”
手持ちの残り時間も少なくなってきた現在、
もうがむしゃらになって時間を無駄遣いするのはゴメンだ。
この先、まだ目に見えない難儀(なんぎ)な峠越えも、幾度かあるだろう。
しかし途中には眺めが良くってちょっと休憩するにはモッテコイのところもあるだろう。
急ぐ人は、お先にどうぞ。
ちょうど手ごろな石によいこらせっーと腰を落としゆっくり景色を眺めて行きましょう。
こんな時間が過ごせるのも、老齢(とし)を取ったおかげなのサ~~。
とは言え、高齢化社会による高齢者にも税の公平負担の時代。
年金と預貯金で、悠々自適の生活なんて言っておれない時代。
もうひと山ふた山、みっつメの山を越えるぐらいの気力体力はまだまだ僕にはあるんだ。
まわりの景色を確かめながら、ゆっくりのんびりと参りましょう~~~。
僕のひとり言でした(笑い)。
”だけど明日はやってくる。”
映画「風と共に去りぬ」の最後のラストシーンで、
スカーレット=オハラが言った言葉を、思い出したなぁ~~!(笑い)
みねぼうさんへ、ありがとうございました。
てりー、拝。