『 肉を喰らう 』

 

 

 僕は時として、生肉を食う。

それは料理として食う。食って旨い。おいしいなぁ~とおもう。

味は何もつけない。肉そのものを、食う。肉そのものの味がする。うまいっ!と思う。

スライスされたもの、ステーキにカットされたもの、むしゃむしゃと食う。

奇をてらっているのではない。人の眼もある。

ほんとうにそうして食べたくて、そしてそのように喰らう。

 

 刺身料理は、さすがに生では食べないが、ワサビにも醤油溜りにもべったりと浸さない。ほんのちょっとつけるだけ。このほうが数段うまい。

 その昔、明治のはじめのころ、ヨーロッパの列強国に日本人は生魚を喰らう劣等な民族として紹介されたそうだ。魚の切り身を醤油につけて食する刺身料理は、日本の食文化であり、魚の食べ方をよく熟知した先人の叡智だ。ヨーロッパ野郎なんぞにとやかく、いわれたかねーや。と、当時の人が思ったかどうか。

 その舌のこえた日本人が肉料理に関しては早々とヨーロッパに゛右ならえ” してしまったのは、どうにも合点が行かぬ。文明開化とはいえ明治の人も基本は仏教思想、まだまだ「けもの料理」は忌み嫌われていただろう。

 

 今日では韓国の焼肉料理が普及していて、大大人気だ。ユッケ、レバー刺しなども好んで食べられている。韓国伝統のにんにく、とうがらし、海塩、野菜、果物などでつくった゛タレ″につけこめば味は最高。でも、何にも味をつけないで生で肉を食う僕は、俄然小数派だ。奇異の眼でみられる。

 北極圏に住むイヌイットの人たちはヨーロッパ人から゛生肉を喰らうやつら″ 、「エスキモー」と蔑称されている。イヌイットの人たちは野菜の育たない極寒の地ではビタミンCなどの栄養源を、海藻を食べているアザラシの生肉から補っている。先祖からの知恵で彼らの食文化だ。キリスト教社会からみればイヌイットは蛮族であり、劣等な人種ということになってしまう。

 

 僕も肉をソテーしたり、ローストしたりして食べることもある。生から火を通しただけで美味しさは断然ちがう。それに塩をつければ最高。なおかつそれにコショウをかけたら.....!?  最初に肉料理にコショウをかけて食べたヨーロッパの王侯貴族、大富豪たちは、その美味ゆえに呆然としたのではないだろうか。香辛料の利権を争うために戦争になったり、東洋に大航海大冒険の船をくり出したり、侵略に歯止めがかからなくなったりしたのもうなずける。

 

 北海道でとれる魚に「ホッケ」がある。干物にしたものを焼いて食べれば酒はなんぼでも飲めるし、御飯ならかるーく3杯は食える。

 もう何年も前、北海道にいたころ僕は風邪で3日間熱にうなされ、何にも食わずにただひたすら寝ていた。薬より寝るのが一番の養生、僕の基礎体力だけで風邪ぐらい治せる、そう信じて歯を食いしばり絶対安静(?)にしていた。

 4日目の朝ようやく熱も引き空腹をおぼえ、なんか餌を捜しにスーパーによろよろ出かけていった。パッと眼に入ったのがホッケ。眼が釘づけになった。食いたいっと思った。そのとき焼こうなど思いもしなかった。まるごと手でナマをむしゃむしゃかぶりつきたいと思った。ホッケには独特のにおいがある。ほとんどそれはクサイと云っていい。そのクサイにおいも一緒に喰い終わったとき、ホッケの精霊の力をもろに戴いたような気がして、四肢にエネルギーが蘇ってきたことをおぼえている。

 「ホッケさん、あなたの命を頂戴しました。ありがとうございました。」

 僕はホッケの骨をじっーとみつめていた。

 

 北海道アイヌの人たちに『イヨマンテ』という伝統儀式がある。カムイカント(天界)からカムイ(神)が熊の姿となってコタンにやってきてくれた。肉をみんなで分け合い祝いあった後、頭(こうべ)の骨にお化粧をして天界にかえしてあげる。お化粧が良ければ良いほどクマのカムイは、人間(アイヌ)に喜んでもらえたと天界では鼻が高い。人間もクマが喜べば、またコタンにやってきてくれるだろうと喜ぶ。『イヨマンテ』は熊送りだけが良く知られているが、あらゆる生き物に対しても感謝を込めて供養(イチャルパ)を行う。アイヌ民族の自然を敬う素晴しい風習だ。

 僕は裏山で枯れ枝を集め、ホッケの骨を荼毘にふし、煙りとともに天界に帰してあげたものだった。

 

terry

 

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